いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

雄雌と絡め絡まり花木通(あ)

【きょうの一枚】庭のアケビ(木通)の花。

f:id:jijiro:20220407084659j:image
 アケビが我が庭にやってきたのはいつだったか。過去のブログ記事でいちばん古いのに当たったら、2017年4月6日とあった。そのときの写真を見ると蔓がかなり上まで伸びている。まだ屋根まで達しないか細い苗の時代もあったはずだが、その写真がない。だから、植えてから少なくとも5年以上は経っていると思われる。
 アケビは今の家を手に入れたときから植えたいと思っていた。グミ(茱萸)も植えたいと思ってそちらも実現した。が、もう一つ植えたいと思っているクワ (桑)だけはまだ植えていない。
 アケビ・グミ・クワ。この三つは私が洟垂れガキだった頃、野山が提供してくれる恰好のおやつだった。どうしてもその印象があって、庭を持ったらぜひ植えたいと思っていた。
 が、あれもこれもと欲張っているうちに、だんだん庭がジャングル化してきて、これ以上植物を増やすと大変なことになると思って、やむなく桑の実だけは断念した。そういう経緯がある。
 アケビが初めて身をつけたのは2018年。四つ生った。そのときの喜びようといったらない。童心にかえってはしゃいだ。青紫の厚手の皮がぱかんと開いて中から白い実が見えたときは、幼い頃の思い出が一気に噴き出したものだ。
 そのアケビ。去年は花だけで実が生らなかった。今年は実を結んでくれるだろうか。そのことは、秋になったらまた報告します。


【書】「衆甫」しゅうほ(No.1,025)

f:id:jijiro:20220407084421j:image
 「物事の始まり。」(『大辞泉』)
 「衆」は、〓(しゅう。「人」3人が組体操をしているような形。乑は変化した形。多くの人々)と皿(血は誤った形。地域の意)とで、ある所にいっしょにいる多くの人々の意、ひいて「おおい」意を表す。
 「甫」は、田に芽が出たさまで、野菜ばたけの意。圃の原字。音が夫(ふ)・父(ふ)に通じるところから、借りて男子の美称に用いる。


【ディジタル画】『三四郎』 27(No.465) 

f:id:jijiro:20220407084320j:image
 三四郎は大学の講義に出ないで野々宮君の妹を病院に見舞う。病室の札に「野々宮よし子」とあった。
 三四郎は、顔を戸の影から半分部屋の中に差し出す。すると、よし子から「御這入りなさい」と声がかかった。そのとき三四郎の脳裏には、馴々しいのとは違う、遠い故郷にある母の影が閃いた。……
 学校の講義よりも、こういう体験が人生には絶対必要だよな。

 今回もすべて「Gガッシュ」で描いている。


【タイムラプス】4月6日(水)7:25〜9:17の伊豆長岡の空。28秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10228172770126659/?d=n


【新型コロナ】4/6(水)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→45,684(前週同曜日比 +1,222)
重症者数→508(前日比 +3)
累計死亡者数→28,400(前日比 +64)