いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

することもなくそれだけの年の暮(あ)

【書】『嵯峨日記』 15(No.1,979)

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「廿八日 夢に杜国が事をいひ出して、涕泣して覚ム。心神相交時ハ夢をなす。陰尽テ火を夢見、陽衰テ水を夢ミル。飛鳥髪をふくむ時は飛るを夢見、帯を敷寝にする時は、虵を夢見るといへり。睡枕記・槐安国・荘周夢蝶、皆其理有テ妙をつくさず。我夢ハ聖人君子の夢にあらず。終日妄想散乱の気、夜陰夢又しかり。誠に此ものを夢見ること所謂念夢也。我に志深く伊陽旧里迄したひ来りて、夜ハ床を同じう起臥、行脚の労をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。ある時ハたはぶれ、ある時は悲しび、其志我心裏に染て忘るゝ事なければなるべし。覚て又袂をしぼる。」
(訳:夢に死んだ杜国のことを言い出して、泣いているうちに目がさめた。 心神相交わる時は夢を見るという。陰の気が尽きると火を夢見るし、陽の気が衰えると水を夢見る飛ぶ鳥が髪を口にはさむと空を飛ぶ夢を見、帯を敷寝にして寝ると蛇の夢を見ると『列子』に説いてある。「睡枕記」(枕中記)の夢とか、南柯の夢とか、荘周の夢の蝶の話とか、それらは皆それぞれ道理を説いた夢であって、夢としてのあやしさを尽くしたものとはいえない。ところが、わたくしの夢は聖人君子の夢ではない。昼間は終日妄想をほしいままにし、あれこれと気が散り乱れているが、夜の夢もまた同様である。わたくしが夢に杜国を見るというのは、いわゆる念夢である。この杜国は、自分を深く慕って、伊賀国の郷里まで訪ねてくれ、夜は床を同じにして起き臥し、行脚の労をともにいたわりあい、百日の旅行中、自分の影のように離れずついて来た。ある時はともにたわむれ、ある時はともに悲しみ、その志がわたくしの心中深くしみこんで、彼を忘れることがなかったから夢に見たものに相違ない。目がさめてからまた涙を流した。)

 杜国は名古屋の人。罪を得て三河に隠棲。芭蕉に愛された。元禄三(一六九〇)年三月没。享年三十四余。芭蕉と杜国の関係は、嵐山光三郎著『芭蕉紀行』(新潮文庫)に詳しい。


【昭和の風景】津軽弁(No.679)

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「んだね そえで いごさね。」
「そうですね それで いいでしょう。」の意。

 水戸黄門の、「助さん(佐々木助三郎)格さん(渥美格之進)、もういいでしょう」という台詞を思い出す。途中、お銀さんの入浴シーンがなぜか挟まれた。

 なぜ入浴シーンか。それは判らない。でも、それがドラマなのかもしれない。

 少なくとも、勧善懲悪に溜飲を下げるよりも、あの入浴シーンを見たくて「水戸黄門」にチャンネルを合わせる人もいた。


【タイムラプス】令和6年12月4日(水)7:15〜9:16の伊豆長岡の空。30秒。

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