【書】『嵯峨日記』2(No.1,966)

「十九日 午半、臨川寺ニ詣。大井川前に流て嵐山右ニ高く、松の尾〔の〕里につゞけり。虚空蔵に詣ル人往かひ多し。松尾の竹の中に小督屋敷と云有。都て上下の嵯峨ニ三所有。いづれか慥ならむ。彼仲国ガ駒をとめたる処とて、駒留の橋と云此あたりに侍れバ、暫是によるべきにや。墓ハ三間の隣、藪の内にあり。しるしニ桜を植たり。かしこくも錦繍綾羅の上に起臥して、終籔中の塵あくたとなれり。昭君村の柳、巫女廟の花の昔もおもひやらる。 うきふしや竹の子となる人の果 嵐山藪の茂りや風の筋 斜日に及て落〔柿〕舎ニ帰ル。凡兆京より来、去来京ニ帰る。宵より臥。」
(訳:十九日 午過ぎ、(去来の案内で)臨川寺に参詣する。大井(堰)川が前に流れ、嵐山が右に高く、その峰続きは松の尾の里に及んでいる。虚空蔵にお参りする人の往来が多い。松の尾の竹の林の中に、小督屋敷の跡というところがある。上嵯峨・下嵯峨に、合わせて三か所の小督屋敷というのがあるが、どれが本当の跡なのだろう。あの源仲国が、琴の音をたよりに小督を求めて、馬をとめたところだという駒留の橋というのがこの近くにあるから、ひとまずこの竹林の中を本物の跡とすbwきであえおうか。ここの小督の墓は、三軒茶屋の隣の藪の中にある。墓のしるしに桜が植えてある。一度は畏くも高貴の方々と起居をともにしたのだが、ついにはこんな藪の中の塵芥となってしまった。「巫女廟ノ花ハ、紅粉ニ似タリ、昭君村ノ柳ハ眉ヨリモ翠シ」と古人が詠んだ昔のことも思い出される。 うきふしや竹の子となる人の果(竹藪の中に葬られ、ついに竹の子と化してしまったこの人の身の果てを思うと、本当に悲しく辛い思いがする) 嵐山藪の茂りや風の筋(嵐山のよく茂った竹藪を、風が吹き渡って行くと、竹の葉の動きで風の道筋が知れることだ) 夕日の傾くころ落柿舎にもどる。凡兆が京都から来て、入れかわりに、去来が京都に帰った。晩は早く床についた。)
【昭和の風景】津軽弁(No.666

「そたごとへば かならじ ばじあだるだね。」
「そんなことをすると 必ず バチが当たるんだよ。」の意。
【タイムラプス】令和6年11月21日(木)6:14〜8:47の伊豆長岡の空。38秒。
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