いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

独り住むほどに馴染んでちやんちやんこ(あ)

【書】『嵯峨日記』 6 (No.1,970)

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「廿ニ日 朝の間雨降。けふハ人もなくさびしき儘にむだ書して遊ぶ。其ことば、「喪に居る者ハ悲をあるじとし、酒を飲ものハ楽〔を〕あるじとす」「さびしさなくばうからまし」と西上人よミ侍るは、さびしさを主人なるかなるべし。又よめる、  山里にこハ又誰をよぶこ鳥独すまむとおもひしものを  独住ほどおもしろきハなし。長嘯隠士の曰「客ハ半日の閑を得れバ、あるじハ半日の閑をうしなふ」と。素堂此言葉を常にあはれぶ。予も又、  うき我をさびしがらせよかんこどり  とハ、ある寺に独居て云し句なり。」

(訳:廿ニ日 朝の間、雨降る。今日は人もなくさびしいままに、無駄書きをして遊ぶ。その言葉。「喪にいる者は悲しみをあるじとし、酒を飲む者は楽しみをあるじとする」。「さびしさなくばうからまし」と西行上人が詠んだのは、さびしさを自分の主人とする心持からであろう。また西行上人は、こんなふうにも詠んでいる。  山里にこハ又誰をよぶこ鳥独すまむとおもひしものを(山里に独りさびしさを主人として住もうと思っているのに、あの呼子鳥は誰を呼ぼうとして鳴きたてるのだろう)     なんにしても、独り住むほどおもしろいことはない。木下長嘯子がこう言っている、「客は半日の清閑の時を過ごし得たといって喜ぶが、おかげで主人であるわたくしは半日の閑を失ってしまった」と。我が友素堂は、常にこの言葉を口にして同感している。わたくしもまた、  うき我をさびしがらせよかんこどり(もの憂い気分でいるわたくしを、さらにさびしがらせてくれよ、閑古鳥よ)        と詠んだことがあるが、これはある寺に独りいた時の心境を詠んだものである。)

 最後の一句、作ったのは私かと思った。芭蕉でもこんな句をつくることがあるんだ。

 てか、それって、上から目線? そもそもあんた、芭蕉の何なのさ。芭蕉を知らなさすぎる。


【昭和の風景】津軽弁(No.670)

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「まいばげ のみあさてら じゃ。」
「毎晩 飲み歩いてる んです。」の意。

 男の隠れ家、ですね。それにしても、よく、金が続きますねえ。カミさんが聞いたら、張り倒されそう。


【タイムラプス】令和6年11月25日(月)5:47〜9:27の伊豆長岡の空。27秒。

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