ぴりん。
いままで聞いたことがないような音が、かすかにした。
流しに立って、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出したときだ。はずみで床に少し麦茶がこぼれたような気がした。
矯めつ眇めつよく見たら、缶ビールを呑むときに愛用しているコップに、一本の幾何学縦縞が走っていた(缶ビールでも私は必ずビールを呑む時はコップに注ぐ)。
これだ、音の原因はこれに違いない。
それは、付録でついてきたウイスキー用のコップだった。側面下に富士山が透かし彫りが一巡された、愛着ある一品で、なんとなく馴染んでいた。コップの底にも透明の模様があったはずだが、今は曇りガラスのように濁っていて、何を彫ったのだか判然としない。
そうか、あれから10年経つんだもんな、ガタもくるさ。
ウイスキーはキ◯ンシーグラムから出ていた。当時は手頃な値段だったが、いつの間にか手が出ない価格に釣り上がっていた。まあ、買わないからいいんだけど。
それにしてもヒビの入り方が、あらかじめ予定されてあったかのように規則正しくて、かえってそれが気持ち悪い。よかった、のめりこまなくて。のめり込んでたら今頃は抜けられなくなっていただろうな。
【書】『嵯峨日記』16(No.1,980)
「廿九日 『一人一首』奥州高館ノ詩ヲ見ル。」
(訳:『本朝一人一首』に載っている奥州高館の詩を読んだ。)
物足りなさに、平泉・高館の義経堂の義経を描く。てか、芭蕉は、義経のことがよほど好きらしい。
芭蕉が、あれほど旅心を掻き立てた松島を通り越して奥州・平泉を目指したのは、義経の終焉の地を、己が目で確かめたかったからではないのか。
本文に「奥州高館の詩」とあって、これはどうしたって義経を描けということだなと察した。
義経といえば、兄・頼朝との肖像画の違いに驚きを隠せない。が、あれは多分に政治的圧力があったのであろう。義経が風采の上がらない田舎侍然としているのに対し、頼朝があまりに貴公子然としすぎる。頼朝がその権力を傘にきて絵師に描かしめたとしか思えない。国が定めた教科書を手にする少年少女は、そのギャップをどう受け止めているのだろう。
【昭和の風景】津軽弁(No.680)
「あのふと おかね ふと だばて。」
「あの人は 怖い 人 だから。」の意。
【タイムラプス】令和6年12月5日(木)6:31〜10:59の伊豆長岡の空。32秒。
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