いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

魚屋の鰺の目赤く売られけり(あ)

 『おくのほそ道』の「解説」を模写している。

 十月十二日は、芭蕉の亡くなった日。享年五十一。やっとそこまで辿りついた。

 「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」。元禄七(一六九四)年十月八日夜主催の「病中吟」の詠む。ということは死の直前まで句会を催していたということだな。壮絶すぎる。

 この「旅」は『おくのほそ道』だとばかり思っていたら違った。この「旅」で詠んだのだった。江戸から大坂くんだりまでの旅。

 芭蕉五十一歳、私七十一歳。芭蕉はすでにこの世にない。私はまだ生きている。芭蕉は「軽み」を唱え、自らも実践して句を作った。私は何をしているか。何もしていない。いや、している。芭蕉より20年長く生きている

 

【書】『奥の細道』21(日光7)(No.1,882)

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「このたび松しま・象潟の眺共にせん事を悦び、且は羈旅の難をいたはらんと、旅立暁髪を剃て墨染にさまをかえ、惣五を改て宗悟とす」(訳:今度、松嶋・象潟を私とともに眺めることをよろこびとし、なおまた、私の旅の苦労をいたわろうと、旅をともにすることになり、旅立つ朝、髪を剃って墨染の僧衣にさまを変え、名前も惣五を宗悟に改めた。)。

 

【昭和の風景】津軽弁。(No.582)

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 絵手紙。「なんぼ あらげね まっこだば」。

「とても 荒っぽい 馬ですね。」の意。

 大学4年の夏のひととき、北海道の馬牧場で住み込みアルバイトをしたことがある。大学のサッカー部の同窓で、私より先に北海道に就職していたやつの手伝いをしに行ったのだ。いや、邪魔しに、かな。

 牧場は日高のアイヌ部落の近くにあった。朝早くから晩まで、馬房の隣で寝泊まりする生活をしていた。タケホープやハイセイコーが一世を風靡していたころである。

 あるとき、馬に乗らないかと言われた。乗れと言われた馬は二歳馬。馬が競技場を滑走する前に馬具をつけて人を乗せてみる。それでどういう走りをする馬なのか癖をつかむ。

 馬は大抵三歳でデビューする。それまでにその馬の癖を知っておこうというわけだ。それで「勝てる」馬かどうかを見極める。もちろん売値の数値にも影響を及ぼす。

 乗る時は馬に負荷をかけないよう尻を浮かす。内腿を絞って臀を宙に浮かせるような姿勢をとる。そんな格好でダート一周1000mのトラックを走れというのだから無謀もいいとこで、一発で足腰がふらふらになってしまう。

 その馬は、その後一度も一等賞にはなれなかった。なれないうちにいつの間にか引退していた。

 

【タイムラプス】令和6年8月24日(土)6:04〜9:45の伊豆長岡の空。27秒。

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