いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

炎天や病院通い自慢する(あ)

 去年の今ごろ何してた? バイクで転けて二つ目の病院に入院してた。

 あの節は各方面にいろいろご迷惑をかけました。ここにお詫び申し上げます。

 特に病院にはよくしてもらった。救急車で運ばれた最初の病院もそう。リハビリ治療に切り替わることを想定した二つ目の病院もそう。みんな、痒いところに手が届くような至れり尽くせりの世話をしてくれた。消灯は9:00乃至9:30と早いが、それとてテレビを見る習慣のない私には好都合。部屋の灯りを消されてもベッドに据えつけてある灯りまでは消されないから、布団に潜って静かに本を読むには持って来いの環境だった。

 風呂もある。湯舟に浸からないでシャワーを浴びる。風呂から出るとナースがステーションから飛んで来て患部に新しい薬を塗って包帯をしてくれる。一人じゃできない。背中じゃ貼れない。風呂上がりの世話までしてくれるんだがらありがたいことこの上ない。

 食事も、時間になればベッドまで、なんと上げ膳据え膳。専属の栄養士が、患者個人個人の症状に合わせてバランスを整えてくれる。病院食は不味いというのが相場だったが、今はそうでもない。旨い。そして何といってもその都度何を作ろうか考えなくて済むのがいい。それだけでもずいぶん助かった。

 病室ドア脇に空調施設のコントローラーが埋め込まれてあって、そこで部屋の温度を調節できる。寒いと思ったら温度を上げればいいし、暑かったらその逆をすればいい。だから、窓から見える道の温度が何度なのか、病院にいる間は判らなかった。

 てな具合で、病院にいるうちは、自分でやることがない。

 だからよ。みんな病院に入っていたいのよ。生まれる時も死ぬ時も病院。そうして病院はいざという時はすぐに注射をうってくれる薬をくれる。規則正しい健康な生活をしたかったら病院に限るわけさ。いずれ早晩、そうなりますよ。えっ、もうなってる? 

 

【書】『奥の細道』15(仏五左衛門1)(No.1,865)

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「卅日、日光山の梺に泊る。あるじの云けるやう『我名は仏五左衛門と云。万、正直を旨とする故に人かくは申侍るまゝ、一夜の草の枕も、打解て休み給へ』と云。」(訳:三月三十日、日光山の麓に泊まった。そこの宿の主人が「私の名は仏五左衛門と申します。万事につけて正直を第一と致しますので、人が私のことをそう申しておりますが、私のそういうのにまかせて、一夜の旅寝もゆっくりお休みください」と言う。)

 仏五左衛門とは、妙な名もあったものだ。その方がゆっくりお休みくださいと芭蕉一行に言う。どこで、どういう人と会うか判りませんねえ。でも、世の中、いい人ばかりとは限りませんよ。

 

【昭和の風景】津軽弁(No.585) 

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 絵手紙。「ばさま こそらど じぇんこ けだ」。

 「お婆さんは こっそり お金を くれた」の意。

 私の祖母は、私を若乃花(初代)と栃錦の相撲を見せに連れていったことはあるが、じぇんこ(お金)をくれたことは一度もない。お年玉をもらった記憶もない。

 そんな祖母が、どうしてその日、若乃花と栃錦の取り組みがあるのを知ったのか。テレビも電話もなかった時代に、どこからそういう情報を得たのか。

 それと、その時なぜ私が一緒だったのだろう。一度も足を踏み入れたことなどない肝煎の大屋敷の家だったのに。

 

【タイムラプス】令和6年8月17日(土)6:57〜11:05の伊豆長岡の空。31秒。

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