いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

頭から汗を流すや書家として(あ)

 武田双雲。公立共済「友の会だより」今号の表紙を飾る。

f:id:jijiro:20240810132620j:image

 書家だが、東京理科大の出身。リードに、情報に追われる現代だからこそ「手書き」する時間が心を整えます」とあり、飽きっぽい自分が唯一やめたいと思わなかったのが「書」だという。ほんとかなあ。ちょっと嘘くさいにおいを感じるけどなあ。だったら理科大を選ばなかったろう。

 でも、「スピード重視の時代だからこそ非効率な時間を愉しむ」ということは、あるかもしれない。

 1975年生まれというから、まだまだ若い。いずれにしても、これからもっともっと伸びるお方だ。

 東京・築地に住む次男からSNS連絡があった。宮崎・鹿児島が大きく揺れて津波が心配だから避難したらどうかと言ってきた。

 「南海トラフ」のことらしい。一応、心配には及ばぬと返事しておいた。普段心配なんかしないくせして、こんな時だけ連絡してくる。

 と思ったら、夜8時にケータイがけたたましく鳴った。地震だから、安全なところへ避難しろという。どこだよ、安全なところって。そんなところ、今の日本のどこにもないじゃないか。揺れたら覚悟しろと言ったほうがいいんじゃないの? 死に場所を格安で提供します、とか。

 ひと揺れした後、カミさんからSNS連絡が入った。健康保険証を受け取った、だって。この期に及んで呑気なことを言いやがる。市から新しい保険証が送られて来ているはずだから、それをごっそり郵送してほしいということだった。で、送ってやった。受け取ったのは、その保険証のことである。

 9月になれば伊豆に来るようなことを言ってたけど、このタイミングで保険証を送ってくれと言ってるようじゃ、たぶん9月には来そうもないな。別にいいけど。

 

【書】『奥の細道』序章7(No.1,857)

f:id:jijiro:20240810132642j:image

「幻のちまたに離別の涙をそそぐ。行く春や鳥啼き魚の目は涙 これを矢立の初めとして行く道なほ進まず」。(訳:幻のようにはかないこの世の別れ道で、別れの涙を流す。春は過ぎ去ろうとしている。それを惜しんで鳥は啼き、魚の目は涙でうるんでいる。これを旅の記の書き始めとして、旅路はやはり進まない)。

 行く春を惜しんでいるのは、いうまでもなく芭蕉自身である。芭蕉は慣れ親しんだ友に永遠の別れを告げて、これから旅立つのである。


【昭和の風景】津軽弁(No.577)

f:id:jijiro:20240810132707j:image

絵手紙。「その きみ わさも かへろ」。

「その とうもろこし 私にも 食べさせてください」。

「わさも」という津軽弁を使いたくて文例を作った。

 これは、青森郊外の温泉地にある某食堂の店名にも用いられる、私の大好きな津軽弁だ。これを店名に用いた店長のセンスの良さったらない。文句なしの「金賞」だ。

 

【タイムラプス】令和6年8月9日(金)6:46〜9:05の伊豆長岡の空。34秒。

https://www.facebook.com/share/v/QkDrCyUCWZpSfhVT/?mibextid=WC7FNe