こういう描き方を、なんて言うんだろう。
なんて呼ぶかはともかく、気に入っている。
これも、独学じゃなければ気づかない。
美術学校に進もうと思っていた頃は、明けても暮れても石膏デッサンばかりで、描きながら、何が面白いんだろうと思っていた。ただ消しゴム用の食パンをむしゃむしゃ食ってばかりいた。
これだもの、進歩するわけないよ。今思えば、美術学校に進んでも進歩する要素がまるでなかったといってよい。
石膏デッサンはデッサンの基礎だということくらいは判っているつもりだったが、こうまで単調だとつまらない。結局、有耶無耶のまま美術室から足が遠のいてしまった。
あのとき、もう少し辛抱してデッサンの勉強をしていたら、また違う人生を歩んでいただろうか。
一方、クロッキーというのがある。
「人物の動き・量感などを、短い時間でおおまかに写しとる素描。速写。」と『大辞泉』(ディジタル版)にある。これも、独学をしているうちにその描法を知った。
なんだ、そんな簡単な方法があるのか。なんでもっと早く教えてくれなかったんだ、いじわる。
見たまんまを描けばいいというが、それができたら苦労はしない。それができないから苦労する。
クロッキーという方法があるんだったら、もっと早くに取り入れるんだったな。市販されているカット集なんて、ほとんどクロッキーと言っても過言ではない。食い扶持を確保するために市販本に回したとしか思えない。そんなんでいいのか。若者よ、もっと怒れ。
いい方法がある。ディジタル画を広めるのだ。若者よ! もっともっとディジタル画にのめり込め。無尽に広がる世界に飛び込み、その世界を席巻するのだ。
【書】藤原基俊ふじわらのもととし(No.1,834)
「契(ちぎ)りおきしさせもが露を命にてあはれ今年の秋も去(い)ぬめり」(意:お約束してくださいました、よもぎ草の露のようなありがたい言葉を頼みにしておりましたのに,ああ、今年の秋もむなしく過ぎていくようです)
藤原基俊は、和歌や漢詩の才能に優れ、名家の出身出身だったが、才能を鼻にかけるくせがあったようで位は従五位上・左衛門佐(さえもんのすけ)にとどまっている。源俊頼のライバルで、当時の歌壇の重鎮だった。若い頃の藤原俊成が入門している。
【昭和の風景】津軽弁(No.553)
絵手紙。「わも かだってぐはんで」。
「私も一緒にくっついて行きますとも」
「わも」は、「私も」。「かだってぐ」は、「一緒にくっついて行く」意。
カルガモ……、かわいいね。
【タイムラプス】令和6年7月16日(火)8:01〜10:00の韮山方面の雨空。29秒。
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