いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

行商の婆いちばんの夏嚔(あ)

 クロッキーって、自分の得意とする箇所しか描かないんだ。女性の顔なら女性の顔、それしか描かない。

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 でも、それでいい。得意が強みになる。

 絵を描く人って、私はこれしか描けないと言った方がむしろ自然のような気がする。逆に、なんでも描けますと言う方が胡散臭い。

 これまでいろんな描き方を独習して、私って何なの? って思うようになってきた。

 言うなれば、何を描いてもあの人の絵だよなあ、という絵が描けてないということだ。これは、深刻な悩みに違いない。

 その昔、あるコミック誌の4コマ漫画担当者が倒れ、すったもんだしたことがあった。その穴を埋めようと劇画連載作家たちが悪戦苦闘したが、どれをとってもその人の個性が滲み出たものばかりだった。

 これだ、と思った。そのとき思ったのは、みんながみんな“自分らしさ”を醸し出しているということだった。これならできる、いや、これしかできないという凄みを感じた。私にはとても真似などできっこない。

 いくら描いてもその領域にまで到達できないんだよなあ。血反吐を吐くまで描き続けるしかないのかなあ。

 血を吐くまで修行を重ねるなんてやなこった。

 苦行じゃなくて、どうせなら楽しみながら絵を描きたい。

 楽しみながらじゃ修行にならないか。だったら修行じゃなくてもいい。

 

【書】法性寺入道前関白太政大臣ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん(No.1,835)

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「わたの原漕ぎ出でて見れば久方の雲ゐにまがふ沖つ白波」(意:大海原に船で漕ぎ出し、ずっと遠くを眺めてみれば、かなたに雲と見間違うばかりに沖の白波が立っていたよ)

 法性寺入道前関白太政大臣とは、藤原忠通(ただみち)のこと。

 摂政関白藤原忠実(ふじわらのただざね)の息子。若いうちから関白・氏の長者(一族の長のこと。藤原氏の総帥)となり、太政大臣従一位に至った。詩歌や書にも才能を示し、晩年には出家して「法性寺殿」と呼ばれた。保元の乱のときには後白河天皇側につき、崇徳上皇・藤原頼長と対立。平清盛らの軍勢が崇徳上皇側を破り、勝利を収める。

 

【昭和の風景】津軽弁(No.555) 

 絵手紙。「そただに呑まへれば とっくらがって まるね。」。

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「そんなに呑ませたら、ひっくり返って しまうでしょう。」

♪か〜れこ焼いで とっこらがして♪

  これを祖母が囲炉裏に両手をかざしながら歌っていた。鰈の裏表を焼いているのである。その皺だらけの手を思い出した。テレビなど我が家になかった時代の話である。その囲炉裏は掘り炬燵にもなった。

 思えば酒もずいぶん弱くなった。

 

【タイムラプス】令和6年7月17日(水)15:32〜16:23の伊豆長岡の空。25秒。

https://www.facebook.com/share/v/WBWSwFEweXaxmoc9/?mibextid=WC7FNe

 夕焼けを撮ろうと思ったが,夕焼けにはちと早かったみたい。夕飯の買い出しに合わせたら、そうなった。

 描画を撮影終了に合わせたが、描画の方が早かった。