パソコン本体の調子が悪い。夏はたいてい調子が悪い。
どういうふうに調子が悪いかというと、パソコン本体が熱を持って(素手で触れないくらい熱い)、画面ではレインボーの風車がくるくる回りっぱなしで先へ進まなくなる。再起動してもダメ。
こうなると、iPadに頼るしかない。
しかし、iPadには過去のデータを積んでない。
iPadで一からデータを書かないといけない。それが面倒。
で、きょうはそれをやってる。
だから、時間が倍かかる。
でも、いいんだ。あれこれいろんなことを考える時間が増えるから。
ブログを書きながら、いろんなことを考える。それはたぶんたわいもないことばかりなんだけど、それでも書く。なぜなんだろう。書かなきゃいけないというか、画面の向こうに読者が見えるんだな。書くのをやめればいいのに。書くのをやめたって、誰も何とも言わないよ。
でも、やめられない。どうしても、どんなことがあろうとも書かなきゃいけないと思う。なんなの一体ほとんど病気。
ここまできたらやめられない、という一面は確かにある。だからって、やめない法はない。
惰性だな。死ぬまで続けようという覚悟しかない。書いてることは大したことじゃないかもしれないけど、それは人から見たらそうなだけであって、私から見たらかけがえのない一つひとつなんだ。そこには、そのときにすべきことのすべてが凝縮されている。
齢70を過ぎた。そろそろおさらばする準備をしなくては。それが世の中の順序というものだ。例外を作ってはいけない。
【書】源俊頼朝臣みなもとのとしよりあそん(No.1,833)
「うかりける人を初瀬(はつせ)の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを」(意:(私に冷淡で)つれないあの人が、私を思ってくれるようにと初瀬の観音様にお祈りをしたのに、まさか初瀬の山おろしよ、お前のように「より激しく冷淡になれ」とは祈らなかったのに)
源俊頼朝臣は、大納言経信(つねのぶ)の三男。雅楽の「ひちりき」を得意とし、堀河天皇の楽人となったが、その後和歌の才能も認められて、白河天皇の命で「金葉集」の撰者となった。和歌は技巧的で情感があり藤原定家も絶賛している。
【昭和の風景】津軽弁(No.553)
絵手紙。「おそぐなるはんで 早ぐあべへ」。
「あべへ」というのは、「行きましょう」の意。主に女性言葉の丁寧語として用いる接尾語で、この場合「あべ(行く)」という動作を示す語にくっついて「……しましょう」という勧誘の意を加える。男性は「へ」を使わないで「あべ」とだけ言う。
【タイムラプス】令和6年7月15日(月)6:28〜8:36の韮山方面の雨空。32秒。
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これだけ降れば、さすがに13:00からのグランドゴルフの練習もなかろうと思ったら、あった。水捌けがいいんだねえ。