いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

この暑さいつまで続く石の段(あ) 

 甲府駅前に城址公園がある。甲斐を制した武田信玄は城を持たない武将と記憶しているが、その真実ははていかに。

 ここを突っ切れば官庁街の近道になると言ったのは誰だ。ピーカンの坂道を上らせやがって。おかげでこちとら汗だくだくだ。

 だいたい駅前のくせして、人っ子一人歩いちゃいねえじゃねえか。ほうとうはいらないから冷たい麦茶をくれ。

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【書】『おくのほそ道』65(松嶋5)(No.1,922)

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「江上に帰りて宿を求れば、窓をひらき二階を作て、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで、妙なる心地はせらるれ  松島や鶴に身をかれほとゝぎす  曾良  予は口をとぢて眠らんとしていねられず。旧庵をわかるゝ時、素堂松島の詩あり、原安適松がうらしまの和歌を贈らる。袋を解て、こよひの友とす。且、杉風・濁子が発句あり。」

(訳:海岸にもどって宿をとると、その宿屋は、窓を海上に向かって開けた二階造りで、自然の風光のただ中に旅寝するような気分になり、あやしいほどよい心持がするのであった。曾良は、 この松島に来てみると、いかにも壮大な秀麗なな風景である。古人は、千鳥が鶴の毛衣を借りることを歌に詠んでいるが、今は千鳥の季節ではなく、ほととぎすの鳴く季節である。ほととぎすよ、白い鶴に身を借りて、この松島の上を鳴き渡れ 曾良 という句を作った。 私は、このすばらしい景色に向かっては句を案ずるどころではなく、句作をあきらめて眠ろうとするのだが、といって眠るに眠られない。芭蕉庵を立ち出でる時、素堂が餞別に松島の漢詩を作ってくれ、原安適が松が浦島の和歌を贈ってくれた。眠られぬままに、頭陀袋の口を解いてこれらの詩歌を取り出し、今晩のさびしさを慰める友とした。このほか、袋の中には松島を詠んだ杉風や濁子の発句もはいっていた。)

 松島のすばらしい景色を旅寝の二階の窓から見下ろし、芭蕉はとても句を作る気になれなかった。句を作るよりも、餞別にもらった高弟の詩歌よりも、芭蕉は眼前に広がる松島の景色にただただ心奪われていた。

 おそらく曾良は芭蕉に促されて一句ものしたのだろうが、師弟の力関係がなければ、曾良とて一句を詠む心境にはなく、黙して心に湧きあがった感情をそのまましまっておきたかったのではなかろうか。


【昭和の風景】津軽弁(No.622)

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絵手紙。「この まぎり ながなが 切れね。」

「この 包丁は なかなか 切れない。」の意。


【タイムラプス】令和6年10月8日(火)7:45〜9:42の伊豆長岡の空。29秒。

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