いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

新緑のおつとどつこい手向山(あ)

 ブログを書いている。毎日書いている。

 何のために?

 何のため? 何のためもへったくれもない。そうしたいからそうしている。それだけのことです。

 好き好みに理由なんかいらない。好きだから好き。それでいいじゃん。

 ブログを毎日書いていると、なんでこんなことに時間を費やしているんだろう他にやることがあるだろうと思うことがある。

 たった一行書くのにいろんなサイトを見て回る。そのサイトの数たるや半端ない。見るだけでも時間がかかる。内容も玉石混交でどれを信じていいか判らない。自分が正しいと思ってアップするサイトでも、他の人が見ると嘘っぽいなこれと思うことだってある。

 事実が真実だとは限らないし真実が常に正しいとも限らない。じゃあ何を信じればいいの?

 そんなこんなで、結局何も信じないことにした。自分のやることが正しければそれでいいと思うことにした。

 何をするにも自分の人生だもの、好き勝手にするさ。それがいちばん正しいんだと思うよ。

 百人いたら百通りの人生がある。それはすべて正しいし、すべて間違っている。ならば、自分の選んだ人生が正しかろうが正しくなかろうがそれをやり抜くしかない。

 

【きょうの一枚】前栽の手向山。

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 庭の手向山紅葉。真っ赤に色づいてます。この枝垂れ紅葉は、この時期と、冬の前にもう一度色づいて家主を楽しませてくれます。

 手向山を愛でる風習は昔からあって、百人一首にも次のような歌が残されている。

 ”このたびは幣も取りあへず手向山紅葉の錦神のまにまに”(現代語訳:今度の旅は急のことで、道祖神に捧げる幣(ぬさ)も用意することができませんでした。手向山の紅葉を捧げますので、神よ御心のままにお受け取りください)

 学問の神様として名高い菅原道真の歌。

 実はこの木の幹にハンモックの紐を結えつけたのだけど、誰も見向きもしてくれません。ハンモックを揺する文化と手向山を愛でる文化とは相入れないのでしょうか。仕方なく私がたまに本を読みながらゆらゆら揺れてやります。 

  

【書】「鑄(鋳)」チュウ・いる(No.1,744)

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 金と、音を表す壽(シュウ。とける意→融)とで、金属をとかして型に流しこむ、「いる」意を表す。常用漢字は俗字による。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『倫敦塔』その20(No.1,184)

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 シェイクスピアの『リチャード三世』を描いてみた。物語では、前回描いた二人の王子(エドワード四世の息子たち)がこの人の奸計によって殺されたことになっている。それが倫敦塔にまつわる黒歴史。

 倫敦塔を訪れた漱石は、そこに血塗られた英国の歴史が横たわっていることを当然知っていた。知ったからといってどうなることでもないこともちゃんと知っていた。

 

【昭和の風景】墨画(No.464)

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 これ、今流行りの生成A Iで描いた女の横顔だって。ここまで描けるんだ、生成A Iの技術ってすごいな。これだもの、誰も絵筆を持たなくなるよな。

 だけど一方で思う。考えることをやめたらそれはもう人間じゃないよな。そんなんで、いいのか?  

 

【タイムラプス】令和6年4月17日(水)6:55〜8:57の韮山方面の雨空。30秒。

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