いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

野の草や右も左も山笑ふ(あ)

 庭を眺めていると、これまで歩んできた道をふと振り返りたくなることがある。

 でも、過ぎ去った昔にはどうあっても戻れない。過ぎ去った昔は思い出の中だけでしか見られない。

 洟をてかてか袖でぬぐいながら三角ベースを回ったあの日。

 口の周りを紫色に染めながら桑の実を貪ったあの日あの頃。

 背の立たない海で青リンゴを素手で受けたり投げ返したりした。

 オニヤンマを虫籠に閉じ込めて友達に自慢した。

 貝に入った蛸を探してすっかり暗くなった浜辺を歩いた。

 茹でとうもろこしを頬張りながら岩の上から打ち上げ花火を見た。

 などなど、今振り返れば懐かしい思い出の数々。

 でも、そんな思い出も懐の奥に仕舞ったまま土に還っていくんだな。

 寂しいか。いや、寂しくない。いや、寂しい。

 でも、みんなそうやって幼い頃の思い出を胸に秘めて帰らぬ人となる。

 人間は、この世に生まれ、育ち、死んでゆく。昔から誰もが例外なくそうだった。

 自分で過ごす人生を自分で決めることはできない。我々に残された自由は、決められた世界の中で動き回る自由しかない。それでも自由に生きてよいという機会をもらったことはありがたい。生きたくても生きることが叶わなかった人だっているんだもの。

 この世を去る日はいつかは判らないけど、必ずその日が来ることは誰もが知っている。

 その日が確実に来るのなら、与えられたこの生を精一杯生きてやれ。

 精一杯生きることによって、新たな思い出がそこに積み上がる。しかも思い出の扉はその人にしか開けられない。

 

【きょうの一枚】庭のハルジョオン(春紫苑)。

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 ハルジョオンは繁殖力が強く、放っておいたら青紫蘇と同じプランターで花を咲かせた。

 よく見ると可愛い花なんだけどな。雑草に混じって咲くから見向きもされない。あまりに可哀想な花だ。  

 

【書】「襲」シュウ・おそう(No.1,742)

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 衣と、音を表す〓(トウ。龍が左右二つ並んだ形)の省略形龍(シュウは変化した音。重ねる意→畳)とで、死者にかぶせかさねる衣の意を表す。転じて「かさねる」「おそう」意に用いる。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『倫敦塔』その19(No.1,182)

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 ここらでちょいと一休み。ということで、コーヒーブレイク。そのコーヒーカップ。

 「かすれ」をディジタルで表現したかったが、うまくできなかった。

 どうすりゃうまく表現できるんだろう。やはり、ディジタル画では無理なのかなあ。アナログに戻りたい衝動に駆られる。

 

【昭和の風景】墨画(No.462)

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 昨日(4/14)の「ひとり上手」という歌に「冬の雨に打たれて……」という歌詞が出てくる。都会のビル街に降る冷たい冬の雨をイメージしたイルミネーション。ディジタル画で描くとこんな感じになるか。

 てな具合に、今もってディジタル画と格闘している。

 その格闘はいつになったら終わるんだろう。終わらないかもしれない。死ぬまでずっと格闘を続けるかもしれない。

 

【タイムラプス】令和6年4月15日(月)7:00〜10:13の伊豆長岡の空。24秒。

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