毎日ディジタル画を描いている。
ディジタル画とは何か。iPad ProとApple Pencilを使って描く画を私はそう呼んでいる。
なんでそんなのにハマったか。
もともとはアニメーション制作ソフト「flash」(Macromedia社)にハマったことが起因だった。自分の描いた絵が動き出すことへの驚きは尋常ではなかった。
それが後、Macromedia社がadobe社に吸収されてMacromedia社は消滅した。それと同時にアニメーション作成から退くことにした。伊豆に居を構えたのも、実はそこをアニメーション作成スタジオにしたいという思惑があったからだった。
ところが、その夢は潰えた。そして、アニメーションに替わるものとして手を染め出したのがディジタル画だった。
ディジタル画なら紙も要らない絵の具も要らない。電気さえあれば何でも描けるし、失敗しても何度も描き直すことができる。それが魅力だった。
職場のOSはWindowsが主流だったが、私はWindowsに見切りをつけてMacに走った。iPadで「Zen Brush 2(現在は3)」が使えることを知ったからである。
ほんと、あの墨の濃淡と掠れの表現には驚嘆した。ディジタルでここまで表現できるようになったのかという感慨が強かった。余生はこれと心中するしかない。そう思った。
そして今は毎日「Zen Brush 3」で金文を、Conceptsで漱石作品の挿絵と「昭和の風景」を描いている。そのうちそこに「古い昔話」を加えるつもりだ。
【きょうの一枚】ミニトマトのピザ。
冷蔵庫にカミさんの置いていったピザがあったので、それにミニトマトとチーズをのっけて焼いた。きょうの晩酌のメインディッシュ。つまみはこれで十分。
【書】「過午」カゴ(No.1,436)
「昼過ぎ。午後。午は、正午の意」(『旺文社漢字典第2版』)
「過」は、辶(歩行)と、音を表す咼(カ。多い意)とで、行きすぎる意。ひいて、度をこす、また「あやまち」の意。
「午」は、もと、穀物をつくきねの形にかたどる。杵(ショ。=きね)の原字。借りて、十二支の第七の意に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』風呂の後 八(No.876)
森本は話の途中で便所に立った。が、五分経っても十分経っても戻って来ない。で、敬太郎が見に行くと、森本は自分の部屋で勝手に寝ていた。なんてやつだ。
森本が敬太郎の部屋に戻って語る。
今から十五六年前に技手に雇われて北海道の内地を測量して歩いた。その時、蝮蛇を捕まえて肉を焼いて食ったのだそうだ。敬太郎がどんな味かと聞くと、森本は魚肉と獣肉の間位だったと答えた。真偽のほどは判らないが、話としては面白い。
まだ孫どもが伊豆にいるとき、公民館へ通じる土階段に蝮がとぐろを巻いていたのを見たことがある。孫娘は蛇だと言ったが、見るとそれは蝮だった。図体は小さかったが、蝮と知ってちょっとビビった。後日、家の庭でも見かけた。この辺りにも結構いるんだね。
【昭和の風景】156
河童の妖怪。
ツノは生えてないけど、これも鬼の一種か。
暗闇の田んぼの畦からひょっこり出てきそうで怖い。
鬼は怖くなければ鬼ではない。かわいい鬼なんて、あろうはずがない。
【タイムラプス】5/24(水)6:09〜8:18の伊豆長岡の空。32秒。