いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

山笑ふ舌を噛みそなその名前(あ)

 今まで賑やかだったことが何事もなかったかのようにしんと静まり返ることを、津軽弁で「しげね」という。亡き母が私が孫を連れて生家を去る時によく言っていた。「わいはまだしげねぐなるじゃ」。

 孫娘が来た。たくさんの思い出が蘇った。でも孫娘がいなくなると、それと同時に思い出も一瞬にして消える。そして元通りの静まり返った日常がまた始まる。その繰り返し。

 梅が咲いて、これなら順当に春が来るかと思っていたら、ここへきてソメイヨシノが咲くのを踏みとどまった。

 咲くどころか、固い蕾に戻った。誰が咲いてやるもんかと意地悪しているようだ。人間様の思い通りにはならないぞ、と。

 それで26日に予定されていた花見も延期になった。

 桜は、人間の都合に合わせて咲いてはくれない。

 桜の咲く咲かないはその時になってみないと判らない。が、人間は、桜の都合に関係なくそそくさと花見の準備をする。

 梅の咲き具合からして今年の桜も早く咲くんじゃないかと思ったんだけどなあ。そうは問屋が卸さなかった。

 かように、いきなり寒さがぶり返すことを「冴返る」「凍返る」「寒戻る」という。これ全て「春」の季語(『合本俳句歳時記第四班』ディジタル版)。

 説明には、「暖かくなりかけたところにまた寒さが戻ってくることをいう。再びの寒気によって心身の澄みわたるような感覚が呼び覚まされる」とある。

 心身の澄みわたるような「感覚」かぁ。まさに季節のうつろいは、心で感じるものなのだなあ。

 豆まきが終わって、菱餅を食い終えて、さてこれから暖かくなるぞと思っていたら、冬に逆戻りしたようなこの寒さ。だからこそ人間は余計風の冷たさが身に染みて感じるんだろうな。

 

【きょうの一枚】ナルシッスス・バルボコディウム。

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 舌を噛みそうな名だ。

 このブログにも前に何度か登場しているが、いまだに慣れない。北アフリカ産だそうだ。

 この花は、某小学校で放課後児童教室のお手伝いをしていたときに当時のスタッフの方からいただいた。その方は、フリージアの邪魔になるからと言って、ダンボール箱にしこたま苗を入れて職員に配っていたっけ。

 それをひと苗いただいて、私を落とそうとして掘った落とし穴に埋めた。ざまあみろ、これで穴が塞がった。と思ったら、毎年同じ箇所に黄色いペチコートのような花を咲かせるようになった。ダンボールに収まっていた頃は、萎びて息絶えたかと思っていたのに見事に復活した。丈夫な花だ。

 そうそう、あの頃はまだ柚子が元気に実をつけていた。

 

【書】「禱」トウ・いのる(No.1,719)

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 示と、音を表す壽(シュウ。トウは変化した音。神に告げる意→祝)とで、神に願いを告げて「いのる」意。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その78(No.1,159)

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 『坊つちやん』最終章。坊つちやんと山嵐が教頭赤シャツと美術の野だをとっちめる場面。痛快だが、東京へ戻った坊つちやんが街鉄の技手になるのも唐突だし、下女の清が死ぬのも唐突。それに、あんなに一緒になって赤シャツをとっちめた山嵐が、その後どうなったかについては一言も触れていない。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.439)

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 明治の錦絵。

 草臥れた老婆。年老いた女は時代に関係なくえも言われぬ凄みを増してくる。まるで美しさの中に隠し持った毒が噴き出したようだ。

 

【タイムラプス】令和6年3月22日(金)7:21〜10:57の伊豆長岡の空。26秒。

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