図書館から借りてきた本の返却が明日(4/13)までだというので、急遽本文の模写をやった。
読むために借りた、というより模写したくて借りた。常に手元に置いて書く勉強をするために借りた。
借りたのは江戸黄表紙本『東海道中膝栗毛』(日本古典文学全集・小学館)。校注は中村幸彦氏。
書く勉強をしようと思って借りたのに、肝心の書く勉強はちっとも捗らない。「ト書き」になると活字が小さくすぼみ、かつ二行になる。どころか、豊富なはずの挿絵がちっとも豊富じゃない。
なんでこんな本選んだんだと思いながら、でも誰も借り手がないことをいいことに返したそばからまた借りる。ということをして、かれこれ四月が過ぎた。
何やってんだかなあ。選んだテキストが悪いのか写す腕が悪いのか。たぶんその両方だろう。
この分だと死んでも模写は終わりそうもない。
いや、模写を終わらせるのは簡単さ。やめればいい。そうすりゃ終わるよ。
でも、模写じゃなくては身につかないものもある。リズムというか、息遣いというか、呼吸というか……。同じ空気を吸っているという感覚は模写してみないと判らない。それが知りたい。
自分でも馬鹿だなあと思う。思うけど、私にはそれしかない。
サッカーの理論を学んだところでサッカーが上手くなるわけではない。上手くなるには、ひたすらプロのプレーの一挙手一投足を盗み真似することだ。ボールと戯れることだ。そうすることで関節や筋肉の使い方が判る。それと同じだ。やってみなきゃ判らない。
私にとって模写をするとはそういうことだ。
【きょうの一枚】姫林檎の花。
八重桜にかまけていたら、どっこい林檎の花だってあるぜといったふうに咲いた。
ここの林檎の木はまだ実が生ったのを見たことがない。花は毎年咲く。だけど結実しない。
でもいいか。こんなにきれいに咲くんだもの。
それを今年も楽しめる。それだけでよしとしよう。
【書】「懿」イ・よい(No.1,739)
壹の原字(イツ。イは変化した音。酒を入れたつぼ)と欠(飲む意)とで、酒を飲んで満足する意。ひいて、よい意。のちに心を加え、欠が次に誤って書かれた。(『旺文社漢字典第2版』ディジタル版)
【ディジタル画】『倫敦塔』その16(No.1,179)
再びビッグ・ベン。ディジタル墨絵で、どれだけロンドンの景色を切り取れるか試してみたかった。
それは、漱石が実際に目にした景色じゃないかもしれない。でも、そんなのどうでもよくなってきた。そこに描きたい景色があればそれでいい。
【昭和の風景】墨画(No.458)
おもしろい画になった。
歩道をたたく雨を、むしろ楽しんでるかのようだ。
色をつけないで、あえて白黒のままにしておいたのがよかった。
【タイムラプス】令和6年4月12日(金)7:32〜9:34の伊豆長岡の空。30秒。
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