いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

早梅の白きを庭に散り敷いて(あ)

 最近、バイクを転がすのが怖くなった。バランスが取れないのである。

 特に右にカーブするときが怖い。ああ、倒れる倒れると思いながらスローモーションで倒れる。要するに踏ん張りが効かなくなったんだな。

 近いところで二度やった。打撲程度で済んでいるからいいようなものの、バックミラーはへちゃむくれになるし、第一痛くて寝返りが打てない。

 つくづく年なんだと思う。若い頃は決してそんなことはなかった。これじゃ、屋根の雪下ろしも骨が折れるわけだ。とても他人事なんて笑えなくなってしまった。

 

【きょうの一枚】庭に散り敷いた白梅の花びら。

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 梅の枝にロープを渡して手製ブランコを拵えた。孫娘がまだ小学校に上がる前のことである。

 あれから幾星霜、ロープもくたびれて孫娘を支えきれなくなった。その孫娘も四月からは高校に通う。

 高校受験が終わったら伊豆へ遊びに来るようなことを言っていたけど、無理して来なくたっていいさ。どこで暮らそうが、いつまで経っても孫は孫だ。

 孫が孫なら俺は俺だ。いつまで経っても伊豆に住む爺だ。

 その爺は、伊豆で何をしているかというと、せっせとディジタル画を独習している。

 なんの足しにもならないけど、暇つぶしにはなる。

 iPadとPencilさえあれば何だって描ける。至ってお手軽だ。

 好きなときに好きな絵を描いて過ごす。そしてあるときぽっくり逝く。それでいい。 

 

【書】「濕(湿)」シツ・しめる(No.1,669)

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 湿った土地の意、ひいて「しめる」意。常用漢字は省略形。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その28(No.1,109)

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 今回は劇画風タッチの坊つちやん。なるほど、いろんな坊つちやん像があるものだ。

 坊つちやんの行動や考えの裏にはいつも下女・清の影があった。小さい時に教えられたことは生涯忘れずに心に残っているもので、坊つちやんの場合、それが清だった。太宰治の場合、それがタケだった。

 太宰は著書『津軽』の中でタケとの再会を美しく書いている。

 そういう思い出を心に残しているのは羨ましい限りである。

 私の場合、そういう美しい思い出はない。

 だけど私は、たまたまこの時代の日本に生まれ落ち、たまたま雪国で育ち、たまたま伊豆を終の住処にした。それも運命のなせる技だと思っている。

 もしかしたら私は戦国時代に生まれ落ちたかもしれないし、雪の降らない南の島で絵を描いていたかもしれないし、定年後に津軽に戻って雪掻きをしていたかもしれない。

 どこでどう暮らすかは判らない。だけど判るのは、今を懸命に生きること。それだけだ。

 それが自分に与えられた運命なのだと思っている。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.389)

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 借りた本の返却日だと知って慌ててカブを図書館に走らせた。

 カウンターで返却し、同時に再び貸し出しの手続きを取る。

 去年の暮れから新春にかけて、借り手がないことを幸いに同じことをしている。

 日本古典文学なんて、誰も借りてまで読もうとしない。しかも『東海道中膝栗毛』だからね。読み応えのあるものでもない。でも、頭注がえらく詳しくて、それが江戸文化の勉強にもなる。

  

【タイムラプス】令和6年2月1日(木)11:59〜14:50の伊豆長岡の空。21秒。

https://www.facebook.com/share/v/CLX88Ppe1EEGKzKg/?mibextid=WC7FNe

 タイムラプス撮影ではなく、ビデオ撮影を選択していたみたい。で、撮り直し。ビデオ・データは重た過ぎる。