いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

出勤の車の後の桜かな(あ)

 あす17日は地区の総会。そこで私が一言述べることになっている。なにを語るか。それをここにまとめておこうと思う。

 私は青森の半農半漁の寒村で生まれ育った。

 それがなぜ今ここに住んでるか。ここが住みやすいからである。

 青森の高校を卒業して上京し、東京で大学生活を送った。その間、いろんな人と出会い、いろんなことを学んだ。

 大学を出てからは青森へ帰らず神奈川に就職した。一緒になったカミさんが神奈川を離れたがらなかったこともある。

 以来ずっと神奈川で暮らし、そこでもいろんな人と出会い、いろんなことを学んだ。

 やがて定年退職する年になり、さて第二の人生をどこで始めようかと考えて、福島を中心に物色した。福島には、山があり、川があり、海があり、新幹線があり、そして何よりおいしい果物があった。

 これならカミさんも喜んでくれるだろうと思ったら喜んでくれなかった。私が物色したところがことごとくぼろ家だったからである。庭に天然の沢が流れ、その沢水を沸かして飲むコーヒーはきっと旨いだろうなと思ったら、カミさんは違った。「あたしゃそんな虫がブンブン飛んでくるようなところに住む気はないよ」と言った。

 そうこうするうちに、東日本大震災が起きた。福島に住めなくなった。

 ちょうどそのタイミングで今の伊豆の物件を知り、飛びついた。ぼろ家だったけど、かつての神奈川の同僚が旅館に泊まるより安く上がると私の家を使ってくれた。

 退職するときに再任用の話が持ち上がった。それで、神奈川と伊豆を行ったり来たりしていた。そして、カミさんが一緒に住めるようにぼろ家を自前で修繕したりしていたのだったが、それでもカミさんはうんと言ってくれなかった。

 伊豆には、山あり、川あり、海あり、そして福島になかった富士山と温泉がある。一発で気に入った。

 そして今、伊豆の国市に市民登録をして、伊豆を終の住処と決めた。

 その伊豆でも、いろんな人と出会い、いろんなことで世話になり、いろんなことを学んだ。

 それでいつか、そんないろんなことを教えてくれた地域に恩返しをしなければいけないと思っていた。

 やっと恩返しができた。いや、まだできていないかもしれない。でも、これからもこの地に住み骨を埋めるからには、どこかでまた重い腰を上げなければいけなくなるときが来ると思う。そのときはまたよろしくお願いします。

 みなさんと巡り会えたことに感謝します。ありがとうございました。

 

【きょうの一枚】北隣家の桜。

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 河津桜が散って、いよいよメインのソメイヨシノが咲き始めた。

 春告鳥の鶯の鳴き声がそちこちから聞こえてきます。

 春です、ね。

 吹く風はまだ冷たいけど、確実に春がそこまでやってきてます。

 

【書】「疆」キョウ・さかい(No.1,713)

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 土と、音を表す彊(キョウ。さかいの意→境)とで、土地の境界の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その72(No.1,153)

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 当時の坊つちやん先生のイメージはこんな感じなのかな。まるでなりたての書生だな。少なくとも校長の狸や教頭の赤シャツはこんな格好はしない。するとしたら数学の山嵐くらいか。

 どうやら人間というのは腹黒くなればなるほどスーツを着込んで髭を生やすようだ。延岡への赴任が決まったうらなり先生はどっちだろう。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.433)

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 明治の錦絵。

 なぜ釣鐘を被ってるんだろう。顔を見せたくないくらいの失態をしたのかな。

 穴があったら入りたいと言うけど、釣鐘を被りたいというのは聞いたことがない。

 

【タイムラプス】令和6年3月16日(土)6:22〜9:34の伊豆長岡の空。23秒。

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