無人販売のミニトマト屋さんへ行ったら、先客のお二人に胡瓜の袋を持っていかれた。
「あら、胡瓜があるわ。一つ買ってこ」「じゃ、あたしも。これ、うちの子が好きなのよ」。
三本一袋で100円は安い。
あれば私も買ってこと思ったが、先に手にされたので遠慮した。カゴには二袋しか残っていなかった。
あれが主婦のパワーなんだな。
肩を落としながら家に戻ったら、冷蔵庫に無人販売の胡瓜が一本残ってた。
やれ嬉しや、黒豆と和えて晩酌のひと丼にしよ。
と書いて、どうでもいいことだよなこれと思った。
そう、どうでもいいことです。
私的な慰みです。
でも、読んでくれる人にとってはどうでもいいことでも、私にとってはどれもこれもかけがえのない大事な一日なんです。
こうして一日一日を生きている。
いいじゃないですか、誰に迷惑をかけるでもなく好き勝手に暮らしてるんだから。
いや、知らず誰かれに迷惑をかけているかもしれない。それも含めて、でもいいじゃないですか。
やりたいことをやらしてくれる環境に感謝しなくちゃ、ね。
死んだら何もできないんだもの。せっかく与えられた命だもの、消えてなくなる前に思い切り楽しまなくちゃ。
【きょうの一枚】金木犀の新芽。
庭の金木犀も新芽を出しました。
春ですねえ。
野山の草花が一斉に芽吹いています。
こういうのを見ながらワンちゃんと散歩するのは、さぞかし気持ちいいだろうな。
きっと誰かに話したくなるよな。
【書】「璧」ヘキ・たま(No.1,706)
玉と、音を表す辟(ヘキ。ひらたい意→平)とから成る。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その65(No.1,146)
山嵐が牛肉をぶらさげて坊つちやんの下宿を訪ねた。そこへ赤シャツの弟がやってきた。山嵐を訪ねたら留守だったので、きっとこっちだろうと見当をつけて来たらしい。本文には「妙な奴が来たもんだ」とあるが、その通り。
山嵐と坊つちやんが芸者遊びにうつつを抜かす赤シャツを懲らしめる作戦を練っているところへ来たのが、まさか赤シャツの弟とはな。
山嵐が赤シャツの弟が云う「土佐っぽの馬鹿踊り」を見に行こうと誘うのでついて行ったら、そこで中学生と師範学校の生徒の喧嘩がはじまった。
江戸っ子で喧嘩好きの坊つちやんは、加勢するのだかとめるのだか判らないまま喧嘩に巻き込まれる。
いや、「火事と喧嘩は江戸の華」文化にすっぽり覆われた坊つちやんとしては、喧嘩と聞けば居ても立っても居られないんだろうな。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.426)
明治の錦絵。
ベーゴマ遊びに興じる子ども。「ベーゴマは、日本発祥のコマの一種である。大正時代から高度成長期にかけて子供達の間で盛んに用いられていた遊びの一つ」とWikipediaにある。
ということは、錦絵は大正時代になっても盛んに描かれていたということになるか。
【タイムラプス】令和6年3月9日(土)7:00〜9:03の伊豆長岡の空。30秒。
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