毎日ブログを更新している。
それが何になるか。何にもならない。
毎日書いているからといってそれが偉いわけでもなんでもない。
ブログを書くことによって、その時間を別な時間に使えば有効な人生を送れると考えることはある。
だったらそうすれば。
誰も読んでくれないブログをダラダラ書くよりもその方がいいんじゃないの?
でもできないんだなあ。ブログを書かないとその日一日何かやり残した気がしてならない。
それがあるから、どうしたって書かないわけにはいかない。
「心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」なんだな。
考えてみれば、人の一生なんて大したことではない。
与えられたたった一度っきりの人生を自分の思うように使いたい。
誰もがそう思う。でもそれができない。
なんでだろう。もっと好きなことを好きなようにすればいいのに。
なんで人の厄介を焼こうとするのだろう。そんなの放っとけばいいじゃん。溝にはまってのたれ死のうが、柔らかい布団にぬくぬくくるまって目を閉じようが、そんなのどうだっていい。
自分が好きなことをして死ぬのが、最後に残されたいちばんの楽しみだと思うけど。
【きょうの一枚】ドラゴンボール。
漫画家・鳥山明さんが亡くなった。二度寝を楽しんでいたらそういう訃報が届いた。
それで家の周りの景色なんか撮っている場合じゃないと思って、ネットで検索した。死因は「急性硬膜下血腫」。「少年ジャンプ」の発表によると、亡くなったのは3月1日という。享年68。
「急性硬膜下血腫」は、脳に損傷を受けたときになるものらしい。新型コロナワクチンの影響でなければいいが……。
ともかく、画力が半端ない。手塚治虫をして「上手すぎる」と言わしめた男。こんな漫画家、もう出ないだろうな。
どうしたらあんなに大量に絵を世に出せるんだろう。すごい。すごいとしか言いようがない。
寝ても覚めても漫画のことしか考えてないんだろうな。どのみち好きでなければできないことだ。
【書】「覆」フク・くつがえす(No.1,705)
襾(おおい)と、音を表す復(フク)とで、おおいかぶせる、「おおう」意を表す。借りて「くつがえす」意に用いる。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その64(No.1,145)
東京で暮らしている清に松山での出来事を手紙に書こうとする坊つちやん。が、筆が進まない。「諦めて硯の蓋をして仕舞つた」。清が「もつと詳しく書いてくれと注文しても、坊つちやんは、「矢っ張り東京迄出掛けて行つて、逢つて話をする方が簡便だ」と思う。
ここで、「清の注文通りの手紙をかくのは三七日の断食よりも苦しい」と出てくる。
「三七日」? 「3×7」で二一日のことだって。なんだ馬鹿馬鹿しい。単なる掛け算じゃないか。
当時は、露骨に言わないところがお洒落だったのかねえ。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.425)
明治の錦絵。
白褌をだらりと垂らして「ええじゃないか」を踊ってる。
【タイムラプス】令和6年3月8日(金)8:10〜9:30の伊豆長岡の空。21秒。
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