いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

買わなくてもいい春の無人野菜(あ)

 判らないことがあればネットに答えを求めるようになった。

 例えば、総会司会進行。

 どういうふうに進行したらいいか判らない。訊かれた当人も判らない。で、ネットに頼る。ネットを開くと、そこに答えがある。その情報が正しいかどうかも判らない。でもなるほどと納得する。

 正しいか正しくないかなんてどうでもいい。それが痒いところに手が届くような情報かどうかが問題。そう、私はそれを知りたかったんだという情報を便利に使いたくてネットにアクセスする。

 でも、そういう情報を提供する人ってどんな人なんだろう。

 どういう気持ちで発信しているんだろう。

 私もネットにアクセスしていろんな情報を得ている。

 それをブログのネタに使ったりもする。

 それでいいんですよ。

 ネットを開いて、それが自分にとって必要なら使えばいいし、必要なかったら捨てればいい。

 ネットを開く人は、自分にとって利益のある情報かそうでないかを瞬時に判断する。

 それでいいんだと思う。

 私の書くブログだって、書きたいから書くのであって、それを活用してほしいなんて露ほども思っていない。

 書きたいから書く、それだけのことです。

 

【きょうの一枚】ミニトマト無人販売横の馬酔木。

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 ここの馬酔木は赤紫。でもやっぱ、白のほうがいいな。いや、私の庭に咲く馬酔木のことではなくて。なんとなく、馬酔木は白がいい。

 でも、目的はあくまでもミニトマト。安くて旨いのが欲しいからそこへ行くのさ。  

 

【書】「臍」セイ・へそ(No.1,699)

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 月(肉)と、齊(セイ。ひとしい意)とで、腹の中央にある「へそ」の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その58(No.1,139)

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 うらなり先生の送別会(続き)。

 校長の狸が席を立つと、続けて教頭の赤シャツも退席する気配。そこへ芸者が三四人入ってきた。いちばん若そうな芸者が赤シャツに挨拶する。どうやら顔見知りらしい。どっこい赤シャツもなかなか隅に置けない。

 芸者が入って座は益ます陽気になった。「なんこ」という芸者遊びをはじめとして、芸者遊びに不慣れな私は大弱り。自由に使える金さえあれば、私だって芸者遊びの一つや二つもやって見せるが金がない。どんどこどんのちゃんちきりん。

 書く文章にも艶が出てきた。図書館から借りてきている本のせいだ。

 でも、こういう江戸の文化はずっと残しておきたいねえ。まあ、個人の好みでしょうけど。

 芸者が座を盛り上げている中で肩身を狭くしているうらなり先生に坊つちやん先生が声をかける。「古賀さんもう帰りませう」。するとうらなり先生、「今日は私の送別会だから、私が先へ帰つては失礼です。……」って、どこまで人が好いんだ。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.419)

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 明治の錦絵。

 浪人崩れらしき男の人が焚き火にあたっている。昔はいたるところでこういう光景を見られたが、今は見られない。

 ああ、♪垣根の 垣根の 曲がり角 焚き火だ 焚き火だ 落ち葉焚き♪ と歌った昔が懐かしい。

 そんな懐かしい光景が、一つまた一つと消えていく。

 いいんだか、悪いんだか。

 

【タイムラプス】令和6年3月2日(土)7:10〜9:30の伊豆長岡の空。35秒。

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