今日(3/3)は桃の節句。
「草の戸も住替る代ぞひなの家」
雛祭りになると、いつもこの句を思い出す。
スーパーでは商品売らんがために♪……少し白酒召されたか 赤いお顔の右大臣♪をリフレインで流しているが、私の雛祭りはこの芭蕉の句である。スーパーは、欲しけりゃ金を出せと言っているようで面白くない。
芭蕉は思う。
むさ苦しいあばら家から旅に出る。私の替わりにこの家に住む人には可愛い女の子がいると聞く。
華やぐだろうな。いいよ、いいよ、障子に穴を開けるくらいやんちゃに暮らしてくれ。
お父さんが幼い女の子を乗せて四つん這いになり、時折ひひんといなないて馬の真似をする。それをお母さんは針仕事をしながら見守る。
そんな幸せな家庭が目に浮かぶようだ。子煩悩な父母に育てられてスクスク育っていくひなたち。
やがて旅の病で命を落とすことになる芭蕉にも、その円満な姿が思い浮かんだんじゃないのかな。
さて、私はどうか。
「住替るひな」もおらず、独り暮らしを満喫している。この分だと当分「草の戸」に「ひな」が住み込むことはないかもしれない。
でもいいさ、好きなときに好きな絵を描いて暮らせるんだから。
そんなふうに好きなことをさせてくれる環境にあることをありがたく思う。
そして、そのことに感謝しながら、もう少し生き長らえてみることにした。
【きょうの一枚】菜の花。
公民館脇の花壇に咲く。
昔は「菜の花」のことを「油菜」と呼んでいた。その種子をすりつぶして菜種油を作る。
田んぼの畦に木製の機械を据えて、そこから油が絞り出てくる光景は記憶している。なのに、一面に菜の花が黄色に染まっている図が浮かんでこない。
菜種油を作るにはそれ相応の菜の花が咲かなくちゃいかんのだが、その一面菜の花畑の光景がなぜか浮かんでこない。
菜の花よりも、油作りに精を出す母の背中を追い求めていたのかもしれない。
【書】「蔵」ゾウ・くら(No.1,700)
艹(草)と、音を表す臧(ソウ。しまいこむ意→倉)とで、草でおおいかくす意、ひいて「かくす」「おさめる」「くら」の意を表す。常用漢字は省略形による。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その59(No.1,140)
明治時代の芸妓遊びがどんな遊びだったか知りたくてネット検索した。そうしたら「かっぽれ」の動画と出くわした。
♪かっぽれ かっぽれ 甘茶で かっぽれ……♪の「かっぽれ」である。
さらに「かっぽれ」という囃し言葉について調べてみた。全集注解を引く。
注解には、「『活惚』の字を当てる。『カッポレ踊り』ともいう。俗謡に合わせる滑稽な踊り。乞食踊りを取り入れて、幕末に、吉原の幇間平坊主が創始したといわれる。名称は『わたしやお前に(オ)カッポレた」による。……」とある。
注解はさらに、「明治中期までは大道芸としても行われ、一部が花柳界や歌舞伎の舞踏として残っている」と続くが、私は盲目の三味線弾きの門付けを知ってるだけで、大道芸のそれは知らない。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.420)
弥次さん喜多さんの珍道中からだいぶ遠ざかってしまったけど、そのうち戻ります。
今はちょうど明治の錦絵にハマっていて、それを追っかけてる。
描きたいときに描きたいことを描けばいいと思って、それを実践している。
【タイムラプス】令和6年3月3日(日)17:05〜18:32の伊豆長岡の空。21秒。
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