いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

故郷の空を遥かに林檎むく(あ)

 きょうも図書館で柳田邦男著『大人が絵本に涙する時』の続きをエバーノートに打ち写す。
 きょうは、ナチス・ドイツのアウシュヴィッツから奇跡的な生還を果たした精神科医ヴィクトル・E・フランクルの話が印象に残った。
 フランクルが戦後になって勤務した病院での話。
「働き者だったある看護婦ががんの末期で何もできなくなった時、自分は生きていても意味がないと考えて絶望していた。これに対しフランクルは、そう考えることは、あなたがこれまでどんな状態の人でも生きることに意味があると言ってケアをしてきた病人の生きる権利を否定することになるではないか、そうではなく、働きたくても働けないにもかかわらず絶望しないで、精神性高く生き抜くという、おいそれと真似ることのできない生き方で人の鑑になることこそ、人生があなたに期待していることなのだ、一回しかないそのチャンスの前にあなたは立っているのだ、と助言した」という。
 生きる意味、ですか。これはもう哲学書ですね。


【きょうの一枚】青森の兄から送られてきたりんご。

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 早速皮を剥いて学校から帰ってきたばかりの孫娘に食わせる。私も一切れいただいた。普段味わえない上品さにうっとり。こんなりんごを食べられる幸せを噛み締める。
 青森の私の実家はりんご畑を持っていた。だから、りんごはとても身近な果物だった。が、こんな旨いりんごを食した記憶がない。あるのは、虫食いのりんごだったり、落下して腐りかけたりんごだった。
 大体、見栄えのいい奴は農協に持っていかれ、家ではその残りをいただくのが常だった。腐ったところを包丁で削ぎ落として、焼いたり煮たりして食った。
 りんごには当時もたくさんの品種があった。我が家で作っていたりんごでいちばん多かったのは「雪の下」という品種で、こいつは固くて日持ちがした。私が好きだったのは「朝日」という品種。皮は真っ赤で光沢があり、肉質は柔らかかった。酸味がやや強かったが、それがまたたまらなく好きだった。


【書】「生禽」せいきん(No.908)

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 「いけどりにする。いけどり。生獲。」(『旺文社漢字典』第2版)
 「生」は、草の生え出る形。草が発芽し、成長する(そだつ)ことから、人が「うまれる、そだつ、いきる、いのち」の意味となり、また人以外の動植物などについてもいう。「生まれたまま、なま」の意味にも用いる。
 「禽」は、「あみ」と今(きん=おおうさま)とで、鳥をとらえる意。転じて「とり」「とりこ」の意を表す。


【ディジタル画】『吾輩は猫である』 39(No.350)

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 上天気の日曜、苦沙味先生(吾輩のご主人)は筆太に「香一炷(こういっしゅ)」とかいた。その場面を挿絵に描いた。
 「香一炷」とはなんぞや。全集注解には「香をひとたきすること」とある。
 書ということで、久々に「墨ブラシ」で字を書いた。これがなあ、もう少し濃かったらいいんだけどなあ。


【タイムラプス】12月10日(金)7:27〜10:14の伊豆長岡の空。20秒。

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【新型コロナ】12/10(金)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→165(前週同曜日比 +38)
重症者数→26(前日比 −1)
累計死亡者数→18,370(前日比 +1)