いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

手作の郵便受や春疾風(あ)

【きょうの一枚】郵便ポストの修繕。

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 念願の郵便ポストの修繕に取り掛かった。

 コンクリート平板が2枚残っていて、使い道が定まらないまま庭の隅に打ち捨てられてあった。そのうちの1枚を使う。

 当初は何かに使おうと思って買ったのだろうが、今では何のために買ったのか忘れてしまった。でも、こうして日の目を見ることになったのだから、その時に買ったことをよしとするか。

 そんなことばっかり考えてるから、私には到底「断捨離」なんて無理だな。

 いつから「断捨離」という言葉が出回ったか知らないが、気がついたら周りは「断捨離」一色になっていた。何で? そんなもったいない。まだ使えるかもしれないじゃない。

 そう、私の中ではまだ「もったいない」精神が宿っている。

 だからモノを捨てられない。

 思い出が染み込んでいるから捨てられないのとはちと違う。いずれどこかで使えるかもしれないと、つい思ってしまうのがいけないんだ。「断捨離」にこだわってぱっぱか捨てられればどんなにスッキリするだろうと思うが、その、ぱっぱかができない。

 「断捨離」はテレビなんかで盛んに喧伝しているから一見いいことのように聞こえるが、私はそうは思わない。テレビは愚民に知らしめようと思ってぎゃあぎゃあ言うのだろうが、私にはその裏にある「もったいない」精神が透けて見える。

 どちらかというと私の気持ちは「もったいない」精神に傾きがち。

 いいじゃないか、人それぞれなんだから。私は「もったいない」精神で行くよ。

 何が「断捨離」だ。「もったいない」精神がよほど尊いじゃないか。

 使い捨て建売の密閉住宅よりも、成長を刻むような大黒柱のある隙間だらけの古民家に住みたい。そういうことよ。

 

【書】「艱」カン・なやむ(No.1,662)

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 もと、壴(たかつきに盛った食物)と、音を表す〓(カン。漢から氵を取り除いた形。とぼしい意→僅)とで、食物が足りない意。ひいて「なやむ」「かたい」意。のち、壴を艮(コン。カンは変化した音。なやむ意)に変えた。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版) 

 

【ディジタル画】『坊つちやん』その21(No.1,102)

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 坊つちやんは、赴任早々氷水を奢ってもらった山嵐に、その時の料金1銭5厘を払おうとする。いずれ山嵐と喧嘩別れすることになるだろうことを考えて、かりをこしらえてはいけないと思ってそう考えた。

 山嵐は通町で坊つちやんに氷水を奢ったことになっているが、その時のお金を返すにもタイミング悪すぎるよねえ。今どき何? だろ。

 江戸後期には、冷水に白糖や白玉を加えたと「コトバンク」にある。が、坊つちやんが食したときの氷水にそれらが入っていたかどうかは判らない。

 『枕草子』には「いみじう暑き昼中に、いかなるわざをせむと、扇の風もぬるし、氷水に手をひたし、もてさわぐほどに」とある由。

 ちなみに当時の1銭5厘って現在の貨幣価値に換算するといくらになる? 約200円くらいでしょうか。

 だったらそんな、こだわる額でもないと思うけど。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.382)

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 江戸の変体仮名第45弾。「ゐ」の部。

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 明治になってからの浮世絵、てか錦絵。赤が目立つ。安価で手に入るアニリンが多用されるようになったせいらしい。

 その年々で廉価に走る庶民感情は自然の理だね。スーパーの安売りに群がる主婦を笑えない。

 

【タイムラプス】令和6年1月25日(木)6:56〜11:09の伊豆長岡の空。31秒。

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