公民館に募金箱が設置された。
今年元日に起きた能登半島地震に少しでもお役に立てればと、地元篤志家が自腹で募金箱を作ってくれた。
私がそうしてくれと頼んだわけではない。とても他人事とは思えない、でも何とか力になりたい。そういう居ても立ってもいられないという気持ちがその人に募金箱を作らせたのだと思う。
ありがたいことだ。このことをもっと広く知らしめなくてはいけない。私にできることはたぶんそれくらいだ。
能登半島が大きく揺れたのは年が明けたばかりの元日だった。
元日は、もちろんその年の始まりの日だ。そんなめでたい日に地面がぐらりと揺れた。
自然災害は、その日がめでたかろうがめでたくなかろうが関係なくやってくる。そう、寅彦じゃないけれど「災害は忘れた頃にやってくる」のだ。
能登半島が地震に見舞われてから既に一ヶ月が過ぎている。動くタイミングとしては遅きに失した感は否めないが、それとてやらないよりはマシだ。やることに意義がある。
災害に遭われた方はどれほど心細い思いで避難生活を送っているだろう。地球のどこであろうが、生活に困っている人がいたら手を差し伸べてやることが人情というもの。だからよ、手助けしてやるのよ。だって、そこに困っている人がいるんだもの。
ひもじい思いをしていないだろうか、ちゃんとトイレを使えているだろうか、ガス水道は行き渡っているだろうか、お風呂に入れているだろうか、厳しい寒さをちゃんと凌げているだろうか……心配は尽きない。今年卒寿を迎える翁もそう思ったに違いない。
私も財布から小遣いを募金箱に入れた。少しでも困っている人に支援を届けたいという一心で。
本当なら私がまず行動をするべきだったんだろうけれど、見るに見かねて動いた人がいた。その気持ちがありがたい。
そういう気持ちを持つ人が地域に住んでいらっしゃることを誇りに思う。
「困ったときはお互いさま」。この精神で、この難局を乗り切ろう。
【きょうの一枚】外灯の電球を新しく替えた公民館。
私が朝からここに詰めていることを知って、米を受け取りに来た娘家族が公民館に顔を出した。
公民館を、こんな私的なことに使っていいのか?
いいんです、そのための公民館なんですから。
困ったときはお互いさま。助け合っていきましょ。公民館をもっと地域の人に開放して、より使いやすい場所にしましょ。
だって、いつ困ったことが起こるか判らないんだから。
【書】「豐」レイ・たかつき(No.1,685)
たかつきの意の豈と、〓(ホウ。丰を左右に二つ並べた形。みちる意)とで、食器に食物を一杯に盛る意。ひいて「ゆたか」の意を表す。常用漢字は俗字による。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その45(No.1,126)
江戸・回向院の相撲力士。
顔をどす黒く塗ってみた。別に深い意味はない。ただなんとなくそうしてみたかった。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.406)
明治の錦絵に描かれた女性。
どこか、生活にやつれたふうで華やかさがない。
明治になってから顔に憂いを帯びるようになり、江戸時代のきらびやかさが消えてしまった。髪の毛の乱れがそうさせている。
でも、描き方としてはよりリアルに近づいたとも言えるか。
【タイムラプス】令和6年2月18日(日)6:02〜8:03の伊豆長岡の空。30秒。
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