♪肴は炙ったイカでいい♪八代亜紀の歌だ。
それを一人の呑兵衛が♪年寄りゃパソコンあればいい♪と酔った勢いで歌った。歌ったのは私だ。
体力のある若者は外に出て稼げばいい。体が昔ほどいうことがきかなくなった爺婆は、家に籠もって長生きすればいい。
私が生まれ育った戦後はモノのない時代で、テレビのある家も村に数軒しかなかった。
テレビのない家に住む私が、若乃花(初代)と栃錦の千秋楽の横綱戦を見に、祖母に連れられてテレビのある家まで行ったのをよく覚えている。あの当時はさほど大相撲に興味を持っていたわけではない。逆に、裸の男が褌一丁でぶつかり合うことのどこが面白いのかと思っていた。おそらく祖母は、その、裸のぶつかり合いを見たかったのだと思う。
大鵬が関脇だった頃、ようやく茶の間に白黒のテレビが置かれた。だけど、大鵬がテレビに出る頃は神棚の下に走って、どうか勝たせてやってくださいと拝むような気の弱い少年だった。そんなわけだから、肝心のテレビは見ていない。
テレビが白黒から天然色(当時はカラーと言わず天然色と言った)になったのはいつだったろう。はっきり覚えていない。
はっきり覚えていないということは、それだけ感動が薄かったのだろう。
三島由紀夫の割腹自殺も浅間山荘の突入劇も私にとっては白黒の印象しか残っていない。
そうこうするうちに、やがて職場にワープロが登場し、パソコンが普及した。
同時に職場からは手書き文書が消え、文書という文書が活字になった。手書きにすると読む人に悪いからという理由で活字に変えたというのも多く耳にした。会議の資料も何もかもが活字に変わった。
でも私は、いい時代になったと思っている。手書きしなくて済むんだからそれに越したことはない。
パソコンの普及? いいことじゃないの。体のいうことのきかない年寄りには持って来いの遊び道具だ。せっかくだもの遊び倒しましょうよ。
【きょうの一枚】瓦屋根越しに見る黒松。
これ、庭の黒松。この先端に松ぼっくりがくっついている。が、写真ではよく見えない。下の枝のは粗方取ったから残るは先端のだけになっていた。松ぼっくりをいただくんだったら、この先端のしかない。
黒松の枝が屋根に覆いかぶさっているから、その除去も含めて剪定しようとしたが、やはり年寄り一人だと高い所に上がるには躊躇いがある。でも、独り暮らしの老人だからやるしかない。
最初は屋根に上ろうとした。が、やめた。命綱を纏ってない。滑り落ちたら事だ。で、脚立の上に乗っかるにとどめてそこから手を伸ばして撮影した。しかし、撮影のために両手が塞がっているからバランスが取りにくい。両足が恐怖に慄いている。
実をいうと、足がすくんで撮影どころではなかった。
ストーブの焚き付けに松ぼっくりは重宝だけど、何せ年だから黙っていただくのも難儀だ。もう70だもんな、無理はできないよ。私はいいが転けたら周りに迷惑が及んじゃう。で、撮影するにとどめた。
【書】「鮮」セン・あざやか(No.1,676)
魚と、音を表す羊とで、生魚の意を表す。ひいて、新しい意、転じて「あざやか」の意、また、借りて「すくない」意に用いる。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その35(No.1,116)
『坊つちやん』に「教員控所」が出てくる。
昔はもっと整然としていたのだろうが、いつの間にか雑多なものが雑然と壁に飾り付けられるようになった。いろんなものがある中で、行事予定黒板とカレンダーだけは、なぜか欠かさずあった。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.396)
明治の浮世絵(錦絵)。当時の美人には違いないのだろうが、顔つきがだんだん江戸の本格的な浮世絵から遠ざかっていくような気がします。
【タイムラプス】令和6年2月8日(木)6:53〜9:34の伊豆長岡の空。38秒。
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