【きょうの一枚】雨に濡れた玄関先。
雨に濡れた玄関先をしみじみ眺めている。そうか、もうここに十年住んでるのか。
玄関脇の木斛も、反対側の金木犀も、丈が随分伸びたな。
住み始めた頃は、一階の屋根までしかなかったのに、気がつけばはるか二階の屋根まで脅かそうとしている。
住む人の体はだんだんすぼんでいくのに、庭木はどんどんふくらんでいく。
これも時代の移ろいなのだろうか。
私はやがてこの世から消えても、自然の生業は変わらずに受け継がれ、そして次代の人にバトンが渡される。
中島みゆきは歌う。
♪まわるまわるよ時代はまわる 喜び悲しみ繰り返し……♪
そう、喜びや悲しみは時代を超えて繰り返されるけれど、その喜びや悲しみは私のものではない。私の喜びや悲しみは、私がこの世から消えると同時にあの世へ携えていく。
どう生きようが子孫の勝手だけど、せめて私がこの世に生きた証をどこかに刻みたい。
そう思って暮らし始めたのが十年前のこの土地だった。この土地を選んだのは私だ。私が最後に眠る場所としてこの土地を選んだ。
あれから十年。何もしないままいたずらに時が過ぎてしまった。
焦りがないといえば嘘になる。
残された時間はそれほど長くない。
その中で何ができるか。今一度心に語りかけながら残りの人生を歩いていこうと思う。
春がひたひたやってくる足音を聞きながら、こうして庭先をぐるり眺め回したことだった。
【書】「雖」スイ・いえども(No.1,673)
虫と、音を表す唯(イ。スイは変化した音)とで、もと、おおとかげの意を表す。借りて、助字に用いる。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その32(No.1,113)
数学の山嵐斡旋の下宿を引き払って今度は英語教師・うらなり推薦の下宿に引っ越した坊つちやん。そこのお婆さんからマドンナの噂を聞く。
ここにマドンナが初めて登場する。マドンナは遠山という金持ちの御嬢さんだった。
「其マドンナさんがなもし、あなた。そらあの、あなたを此所へお世話をして御呉れた古賀先生なもし——あの方の所へ御嫁に行く約束が出来て居たのじやがもし——」
そのお婆さんの口からマドンナの他に、「鬼神の御松」だの「妲己の御百」だのの名も出てくる。「鬼神の御松」とは歌舞伎『新版越白波』に出てくる女賊で、鼠小僧次郎吉や児雷也と並び称せられる。「妲己の御百」もこれまた歌舞伎の女賊の渾名。
そのうち今回は「妲己の御百」にまつわる幽霊画を描く。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.393)
『膝栗毛後編』全二冊が収まっている袋。どこにでもあるようなスーパーののっぺりしたレジ袋と違って、これじゃ捨てるに捨てられない。売れる売れないは別にして、こういうところにも手を抜かないのが”粋な計らい”なんだろうな。
【タイムラプス】令和6年2月5日(月)6:03〜9:31の伊豆長岡の空。25秒。
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