まんまるい十五夜月よりも、十三夜月とか、十六夜月の方がいい。ちょっとまんまるになりきれないところが何ともいい。
よく「月に叢雲、花に風」っていうじゃない。完璧を目指すんだけど完璧になりきれないところがいいのよ。
完璧だとそこで成長が止まっちゃう。伸びしろは残しといたほうが将来楽しみがあるってえもんよ。
【書】『更科紀行』4(No.1,989)

「夜は草の枕を求て、昼のうち思ひまうけたるけしき、むすび捨たる発句など、矢立取出て、灯の下にめをとぢ頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の坊、旅懐の心うくて物思いするにやと推量し、我をなぐさめんとす。わかき時おがみめぐりたる地、あみだのたふとき、数を尽くし、をのがあやしとおもひし事共はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を云出る事もせず。とてもまぎれたる月影の、かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板の音、しかおふ声、所所にきこへける。」
(訳:夜になると、街道筋の旅宿を求めて泊まり、昼間のうち句に作ろうと思って見た景色や、作りかけてまだ未完成の句などを思い起こし、携帯用の筆や墨を取り出して、灯火の下で、目を閉じ、頭をたたいて横になって苦吟していると、私が旅のつらさに物思いをするのかと思ったのでもあろう。私を慰めようとする。若い時に拝み回った土地や阿弥陀仏のありがたい御利益を、次々と話し、また自分が不思議だと思ったことなどをいつまでも話し続けるのが句案の妨げとなって、一句もまとめることができない。句はできないが、そこへ、ことにまぎれて気がつかないでいた月の光が、木の間をもれ、壁の破れから部屋にさしこみ、鳴子や鹿を追う声なども、ところどころに聞こえてきた。)
中秋、里山から鹿の鳴く声が聞こえて来る。鹿の鳴き声はどことなく物哀しい。
そこで一句。
できない。
でも、いくつになっても、作ろうとする気持ちだけは持ち続けたい。作ろうという気持ちは旺盛なんだけど、巧拙となると話はまた別。
詩同人誌を見て思った。書いてるのは爺婆ばっかで、70を越した爺婆が好きなことを好きなように書いてる。
だからというわけではないが、私も、好き勝手に読むことにした。研ぎ澄まされた言葉の魔法に、ちょびっと酔い痴れればそれでいい。そのための同人誌だと思っている。
【昭和の風景】津軽弁(No.689)

「こいで どんだべ。」
「これで どうでしょうか。」の意。
【タイムラプス】令和6年12月14日(土)7:23〜11:05の伊豆長岡の空。27秒。