どんど焼を終えてから少し時間があったので煙突掃除をした。
家の中がやけに煙たいなと思ったら、煙突のジョイントから煙が出ていた。外へ出たら、外の煙突からも煙が出ていた。
これは煙突が煤で詰まっているなと思ったから、煙突を外して掃除することにした。
煙突の中は案の定、煤だらけだった。
今回の薪はピザバス屋さんが提供してくれた。十分乾燥しているから煤がこびりつくはずがないと思っていたがさにあらず。しっかり煤が溜まっていた。
薪ストーブの何が手間って、煙突掃除ほど手間なことはない。これさえなければ快適な薪ストーブ生活なのにな。
ちょろちょろ燃える薪の炎に心癒される人は多いが、メンテが大変だということをお忘れなく。
【きょうの一枚】どんど焼の点火。
しばれた冬空に、どんど焼の炎が舞い上がる。遅れて書き損じの書き初めも到着し華を添えた。
風がなくて何よりのどんど焼日和でした。
昔は、もっと暗いうちからどんどどんどと囃し立てた由だが、昨今はどんど焼そのものが年中行事から外れることが多くなった。子どもの習い事が多様化し、お母様方が子どもの送迎に駆り出されるかららしい。皆でこしらえる行事が一つ減り二つ減りするのはなんとも寂しいが、これも時代の流れで致し方ないことなのかもしれない。
炎が消えても熾が残って熱くて熱くて近づけない。
そこで、餅、焼き芋の出番となる。餅や焼き芋をアルミホイルにくるんで熾に突っ込む。
子供会のスタッフがマシュマロを用意してくれて、子どもたちはそれを串刺しして熾にかざしていた。が、狐色に焦げ目がつく前に真っ黒焦げに煤けてしまう。それでも旨い旨いと言ってむしゃむしゃ食っていた。
熾火を囲みながら暖を取る。めでたいめでたいとお神酒が振る舞われる。くそ〜、バイクで来るんじゃなかった。子どもはインスタントコーヒー。
その時、その場の重鎮から「繭玉」の風習の話が出た。
団子をくっつけた柳などの枝を神棚に刺し、その年の豊作を祈念したという。小正月に神棚に飾る習わしだった。
養蚕の盛んな地域はそれを繭玉に見立てて飾るのだという。
知ってる知ってる、青森の実家でもやってた。青森では蚕はいなかったけど繭玉と言ってた。
懐かしいなあ。そんな懐かしい行事が灯った灯が消えるようにぽつりぽつりとなくなってくのは寂しい。でもそれは仕方のないことなのかもしれない。
【書】「駱」ラク・かわらげ(No.1,651)
馬と、音を表す各(カク。ラクは変化した音)とから成る。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その10(No.1,091)
おっと、画学の「野だいこ」を忘れていた。
昨日は「坊つちやん」、今日は「野だいこ」。ぺらぺらした透綾(すきや)の羽織を着て扇子をぱちつかせる野だいこは、これでも坊つちやんと同じ江戸っ子らしい。「御仲間が出来て……」と嬉しがっている。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.371)
江戸の変体仮名第34弾。「め」の部。
『浮世絵』品川宿より。
【タイムラプス】令和6年1月14日(日)6:01〜7:21の伊豆長岡の空。38秒。
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