以前使った「きょうの一枚」の写真を、また使ったことに気づいた。いけね、やっちまった。
アップした後に気づいたので消そうにも消せない。何が怖いって、ネット社会が浸透してからというもの、これほど怖いものはない。一つの操作ミスが取り返しのつかないことになる。
こんなミスはこれまで一度もなかったが、年と共に年々増えてきたような気がする。
撮り溜めておくからいけない。使ったことを忘れて、まだ使ってないと思い込んで貼り付けるからミスが起こる。人為的ミスであることは明か。情報を操作するのは生身の人間だということを今一度肝に銘じておきたい。
それにしても、ネット社会の何たるかを知らないままスマホをいじっている子どものなんと多いことか。この子たちが社会を動かすようになったら、社会は一体どんなふうになっているんだろう。その頃はもうこの世にいないことは承知しながら心配している。
【きょうの一枚】丘の上のスイセン(水仙)。
水仙が咲き誇っています。
私の家の庭ではありません。うちの庭の水仙はまだ咲いてません。
ここは、私の家から数分歩いた角地です。私が住み始めてからずっと空き地のままです。
対面の斜面には家がびっしり建ち並んでいるのに、ここだけは家が建ちません。
狩野川上空に打ち揚がる花火見放題の好立地なのに、いまだに家が建たないのが不思議です。
目当てはやはり富士山なのかな。夏一日だけ見られる花火よりも春夏秋冬見られる富士山が聳える方向に住まいを設けたいということなのかもしれない。
【書】「導」ドウ・みちびく(No.1,644)
寸(手)と道(ドウ。みち・みちびく意)とで、手を引いて「みちびく」意。常用漢字は省略形による。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『坊つちやん』その3(No.1,084)
坊ちゃんの家は母が死に父が死んで売り払うことになった。ために、下女の清は甥のところで厄介になることになった。
松山中学へ赴任する直前、坊ちゃんは清を訪ねる。
夏には赴任先から帰って来るが、その時の土産は何がいいと清に訊いたら、清は「越後の笹飴が食いたい」と言った。
清にとっては、坊ちゃんが遠くへ行ってしまうことが問題なのだろう。東京を離れれば、越後も松山もない。
私も「笹飴」が越後の名産だとは知らなかった。
で、ネットに当たったら、「笹飴」の包装紙に、漱石の顔が描かれていたので驚いた。松山の『坊つちやん』がいつの間にか越後に行っちゃってた。
国民的英雄の文学者にあやかろうということか。千円札の「顔」にもなった方ですもんね。
その「笹飴」の包装紙に描かれている絵を墨絵風にアレンジしてみた。
いやあ、モノクロの世界は奥が深い。
奥が深い分だけ周りが真っ暗で、灯りを求めて手探りするしかない。闇の先に灯りがあるかどうか判らないけど。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.364)
江戸の変体仮名第27弾。「ひ」の部。
娶った女房の尻を撫でにくる(当時の長屋にはそういう風習があったらしい)連中から身を隠すために、すでに身重になっていた女房を小型のお櫃に隠す(長屋には二階などがないから、そこに身を隠すしかない)。その番をする弥次郎兵衛。
【タイムラプス】令和6年1月7日(日)7:24〜8:14の伊豆長岡の空。24秒。
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