【きょうの一枚】郵便ポスト。
郵便ポストを改造した。
これまでは、ただ朽ちるのを待っているような郵便ポストだったが、車庫を整頓したついでに勢いでこっちにも手をつけた。
でも、根本的改造になっていない。依然として郵便屋さんを悩ませる仕様になっている。
今のうちになんとかしなければ。
【書】「濁」ダク・にごる(No.1,640)
氵(水)と、音を表す蜀(ショク。ダクは変化した音。汚れる意→黷)とで、水が「にごる」意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』百一(No.1,080)
冒頭、「歳が改まつた時、健三は一夜のうちに変つた世間の外観を気のなささうな顔をして眺めた」とある。そして、「実際彼の周囲には大晦日も元日もなかつた。悉く前の年の引続きばかりであつた。彼は人の顔を見て御目出たうといふのさへ厭になつた。そんな殊更な言葉を口にするよりも誰にも会わずに黙つてゐ方がまだ心持がよかつた」と続く。
まあ、正月だからといって特別な思いを抱くわけでもない。普通は誰もがそう思っているが、言えば仲間外れにされるから言わないだけだ。
正月は昔からめでたいものと決まっている。だから、仲間として共に生きていくためには「めでたい」ふりをしなくてはいけない。
俳人・高濱虚子に「去年今年貫く棒のごときもの」という句があるが、それは、得体の知れない見えない魔力が古い年と新しい年の間に潜んでいることを詠んだものなのだろう。この時の漱石の心持ちをよく表していると思います。
さて、健三は普段着のままぶらり散歩に出て姉を訪ねた。比田の家である。
姉の傍で新聞を読んでいた比田は変梃なことを言った。
「此方とらとは少し頭の寸法が違ふんだ。右大将頼朝公の髑髏と来てゐるんだから」
頼朝は頭の大きさに劣等感を抱いていたらしい。教科書で知られる頼朝像とは似ても似つかぬ代物だったのでしょう。義経と比べれば判る。同じ兄弟でありながら描き方が違いすぎる。頼朝は、あるいはその側近は、権力を使って頼朝を美男子に描くよう画家を脅したのかもしれない。でも、江戸の人はそのことを知っていた。
「頼朝公の髑髏」というのは、落語に出てくるネタである。
源頼朝の頭は半端なく大きかった。これは落語にも取られるほど有名な話。
ここで、江戸小咄を一つ。江戸の草双紙『鎌倉頓多意気』にあるそうだ。
回向院に開帳あり。
案内「これは当寺の霊宝、頼朝公のしゃれこうべでござい。近う寄ってご覧くだされませ」
参詣「頼朝のしゃれこうべなら、もっと大きそうなものだが、これは小さなものじゃ」
案内「これは頼朝公、三歳のときのしゃれこうべ」
面白いねえ。江戸庶民の洒落がこれでもかと出てくる。だから、今でも江戸文化に魅了される人が後を絶たないんだろうね。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.360)
江戸の変体仮名第23弾。「ぬ」の部。
梯子段から転げ落ちる弥次郎兵衛。しっとり二人きりになって男女が睦まじく酒を傾けているところを覗き見していたんでしょうね。庶民の興味って、意外にそんなところにあるのかもしれない。
【タイムラプス】令和6年1月3日(水)7:58〜10:23の伊豆長岡の空。36秒。
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なんだか、急に挿入リンクが短くなった。うまくリンクできてればいいんだけど。
短くなったのがいいのか悪いのかの判断すらできない。老兵はつべこべいいわず、早くこの世から消えた方が今後の社会のためかもしれない。