いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

車庫整頓新春富士を仰ぎ見て(あ)

 

【きょうの一枚】車庫を整頓(したつもり)。

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 昨日(1/1)に引き続いて車庫をきれいに整頓。したつもりだが、見た目は以前と大して変わらない。

 昨日と違うのは、今日(1/2)は「箱根駅伝」の走りを気にしながらの作業だったということ。と言っても、テレビを見たのは大手町のスタートとゴールの元箱根だけ。

 だから、元箱根ではトップが青学だったので少しく驚いた。大手町じゃトップじゃなかったのに……。どこで逆転したんだろう。

 それにしても、走り終わってみれば青学の往路優勝。青学は選手層が厚い。誰が出てもそこそこ走る。その華やかなテレビ中継の裏で出番がなく涙を飲んだ部員もいる。監督さんはその日に誰を走らせるか、考えれば考えるほど胃が痛くなって朝食どころではなかったんじゃないかな。

 カミさんが車で伊豆へ来た時、らくらく車庫に車を入れられるようにしたつもりだけど、来て、駐めやすくなったと言ってくれるかな。他は何もいらない。その言葉だけを聞きたいんだ。でも、言わないだろうな。

 大変だったのは、食器棚の整頓。食器をすべて取り出し、戸棚を空にしてから移す。移し終えて再び食器を入れ戻す。

 久々に、引っ越した当初を思い出した。あの時なんであんなことが軽々できたんだろう。今思えば不思議。

 食器は束ねると重たいが、一つひとつは拍子抜けするほど軽い。その、一つひとつというのが大変だった。特にコーヒーカップ。あれがいくつもある。しかも無駄な受け皿までついて5個セット。なんで5個なんだろう。6個とかの偶数なら一つの棚に同じ丈で収まるのに。

 とかなんとかぶつぶつ言いながら作業をしていたら、お兄ちゃんが友達とケータイで連絡を取り合ってバスケの練習に出かけるから金をくれと言ってきた。近くに倉庫を改造した体育館があって、そこで練習するらしい。体育館は地域に住む、元プロバスケ選手で現在コーチ兼監督をしている人がこしらえた。

 子どもはいいよなあ。お風呂掃除や晩御飯のおかずのことを心配しなくていいから。ああ、できるなら、無邪気に過ごせたあの頃に戻りたい。

 

【書】「諾」ダク・うべなう(No.1,639)

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 若(ジャク。ダクは変化した音。したがう意・助字)に言を加えて、若と区別し、承知する意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『道草』百(No.1,079)

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 『道草』も、とうとう百話まできた。次を考えなくちゃ。

 挿絵のことを考えたら、次は『坊つちゃん』あたりかな。

 この作品は漱石の自伝小説との専らの評判だが、ここに書かれた内容が事実に近いものなら、漱石も、養父の金の無心にはずいぶん手を焼いたんじゃないかな。

 それに比べれば私の苦労なんて屁でもない。

 ところで、健三には二人の兄がいた。その兄の二番目が、病死する前後に銀側時計を健三に見せて「是を今に御前に遣らう」と言った。

 「銀側時計」とは何ぞや。

 「銀側時計」とは「懐中時計」のことである。文脈からもそれと判る。

 健三は「欲しくて堪らない其装飾品が、何時になつたら自分の帯に巻き付けられるのだらうかと想像して、……」とある。まあ、しみったれの貧乏人には縁のない話だけどね。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.359)

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 江戸の変体仮名第22弾。「に」の部。

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 「その手は桑名の焼き蛤」で有名な桑名まできた弥次さん喜多さん。

 江戸の滑稽さはやはり「地口」を知らないと伝わらない。江戸が好きすぎて堪らないというわけでもないが、地口は江戸文化の一つの特徴であると思う。『膝栗毛』が江戸で大流行した下地には、この地口が庶民の世界に広がっていたという点もあるような気がする。少なくとも一九はうすうすそのことに感づいていたのではないだろうか。

 

【タイムラプス】令和6年1月2日(火)6:45〜9:28の伊豆長岡の空。20秒。

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