昔の生活に興味が湧いてきた。
特に暖房。
あんな隙間風だらけの空間に風を遮る家具がひとつもなく、暖房を火桶のみに頼っていたとは俄に信じがたい。昔の人はそんなに寒さに強かったんだろうか。
そんなはずはない。「家のつくりやうは夏をむねとすべし」と言った吉田兼好の時代だって、寒くなれば雪が降った。時代劇ドラマの寝殿造の渡り廊下にだって雪を降らしているではないか。だけど、雪だから雪の降らない部屋でぬくぬく過ごそうとは誰も言わない。みんな雪を風雅なものと捉える向きがある。雪国で生まれ雪国で育った身にはそれが不思議でならなかった。
雪国で生まれ育った悲しい性でしょうか、今も雪が降ると雪下ろしという重労働と強く結びつき、ロマンチックな気分にひたれない。雪は生産性を伴わない無駄に重いものという印象がどうしても拭いきれない。
ともかく雪は、人間を第一に考える生活にはとても厄介な天の落とし物なのだ。
【きょうの一枚】立ち枯れた木の近くの家。
今は大丈夫だけど今後強い風が吹いたら倒れそうで危険との情報を得て、立ち枯れの現場に駆けつけた。
写真に写っている道路を挟んで、右が分譲地、左が隣地区の敷地。
問題の木は隣敷地の谷間から伸びている。カーブを右に曲がった白いガードレールの下。
かつては、その上側の斜面から倒れてきた木が道を塞いだので、チェンソーを所有している知り合いに頼んで伐ってもらった経緯がある。
今回もその同じ人に見立ててもらった。そうしたら、その人は早速現場を見に行ってくれた。
コンクリートの柱はNTTのものかと思ったら違ってた。インターネットケーブル会社の所有だった。NTTの人がケーブル会社に電話連絡してくれたみたい。私のケータイに電話が入ってそれと知った。
電話口の人は、線が枝に絡まっているのでいずれ除去しますと言っていたが、その、「いずれ」がいつか判らない。「いずれ」って一体いつのことを言ってるんだろう。年明けかな。寒いのにご苦労さん。
【書】「憲」ケン・のり(No.1,625)
心と、音を表す〓(ケン。憲から心のパーツを取り除いた形。ふさぎ止める意→鍵)とで、人を抑制する「のり」の意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』八十六(No.1,065)
健三は、「団子坂にある唐木の指物師の所へ行つて紫檀の懸額を一枚作らせた」。その中に、「支那から帰った友達に貰つた北魏の二十品といふ石摺のうちにある一つを択り出して入れた」。
「北魏の二十品」とは「龍門二十品」とも言って、臨書のお手本の一つだった。
石窟に刀で刻んだとしか思えないような鋭い線を、なぜ筆で書かなければいけないのか疑問に思いながら臨書した覚えがある。残念ながら、臨書のお手本になるような字だとはとても思えなかった。筆をディジタルペンに持ち替えた今も、その思いは変わらない。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.345)
江戸の変体仮名第8弾。「く」の部。
こうしてみると、読めない書けない変体仮名もたくさんある。
寺子屋に通う学童たちは、こんな変体仮名を、日常生活の中で当たり前のように使い分けていたのだろうか。
【タイムラプス】令和5年12月19日(火)7:17〜9:15の伊豆長岡の空。29秒。
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