いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

暖房にふつふつ議論煮ゆるまで(あ)

 時間の過ぎるのが年々早くなっているような気がする。

 子供の頃はともかく日曜日が来るのが待ち遠しかったりして一週間って長いなあと思ったものだが、今ではもう日曜かという具合に時の過ぎるのを早く感じるようになった。

 時の巡りが早過ぎて、そのスピードについていけない溺れそう。

 こんなはずじゃなかった。

 老後は悠々自適に好きなことをしてのんびり過ごすつもりでいたが、実際は全くその逆。毎日が忙しくて仕方がない。

 これも持って生まれた人生と諦めているが、それにしても、だ。もう少しのんびりできてもいいような気がする。

 若い頃はそれこそ明日は誰にでも否応なくやってくると信じていた。

 しかし、年を取った今は明日は来ないかもしれないと思うようになった。

 そう、一旦眼を閉じたら明日は永遠に来ないかもしれない……。

 そういう考えが私を焦らせている。

 明日はないという考えがぐるぐる頭を巡っている。

 そういう頭で今日を過ごしている。今をどうするか。

 どうするかったって”行雲流水”さ。行く雲のごとく流れる水のごとく生きる。自然の摂理に逆らわないであるがままに生きること、今はそれしか考えていない。

 私は私でしかない。これまでもそう生きてきたしこれからもそう生きていくだろう。そしていつの日か私のままでこの世に別れを告げるのだ。コレデオシマイ。 

 

【きょうの一枚】灯油ストーブ。

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 坂の下のホームセンターに陳列されてあった灯油ストーブから、ワイド反射の同じのを2台買った。

 会計担当から預かった仮払金の予算よりややオーバーしたが、防災用にいずれ買い揃えなければいけないだろうと思い、思い切って買うことにした。

 コンセントは不要で、点火は単2電池4本を使用する。これで公民館の暖をとる。

 昨年は暖房器具持参で寒さを凌いだからな。それを考えたら今年は少しは暖かく過ごせるべ。 

 

【書】「整」セイ・ととのう(No.1,632)

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 正(セイ。ただす)に敕(いましめる意)を加えて、きびしくそろえる、「ととのえる」意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『道草』九十三No.1,072)

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 「四五日前少し強い地震のあつた時、臆病な彼(健三)は、すぐ縁側から庭へ飛び下りた。彼が再び座敷へ上つて来た時、細君は思いも掛けない非難を彼の顔に投げ付けた。『貴夫は不人情ね。自分一人好ければ構はない気なんだから』。」

 細君が三人目の女の子を産んで間もなくのことであった。

 父親はいつの世も不人情で、母親はいつの世も産んだ自分の子が可愛い。

 細君は言う。「貴夫は私のものでなくつても、この子は私の物よ」。

 母親は強い。

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.352)

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 江戸の変体仮名第15弾。「そ」の部。

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 茶店のお婆さんに、手荒く雨の中へ追ん出される弥次さん北さん。

 お婆さんもお婆さんだ、雨宿りくらいさせてやればいいのに。

 

【タイムラプス】令和5年12月26日(火)6:13〜11:20の伊豆長岡の空。38秒。

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