『東海道中膝栗毛』の解説が写し終わらない。
解説と本文を書き写そうと図書館から本を借りてきたが、パソコンのキーボードを叩いているせいか書き写しが遅々として進まず、そのうち借りた本を返却する日が来てしまった。
勤めを辞めて、その分、腐るほど時間があると思っていたが、思っていたほど時間は生まれなかった。あの時間は一体どこへ行っちまったんだろう。
今、十返舎一九と夏目漱石を並べて読んでいる。
なんのために並べて読んでいるか。
理由はない。あえていえば、並べて読みたいから並べて読む。それだけのことだ。
人生に優劣がないのと同じ。哲学の講義に疲れた大学教授と、それに酒を振る舞う居酒屋の店主とどちらが偉いかなんて一概に決められない。それと同じで、漱石と一九を並べてどちらが偉いかなんて考えるのは愚の骨頂。読みたいから読む、それでいい。
漱石の作品が教科書に取り上げられるのに一九の作品は取り上げられない。
教科書に載る漱石の作品が上級で、教科書に載らない一九の作品が下級だと誰が言えるか。上級だろうが下級だろうが、読んで心踊るならそれでいいではないか。
【きょうの一枚】市立図書館のサザンカ(山茶花)。
一昨日、図書館からメールが入った。借りた本の返却がきょう(12/3) だという。
再び借りるには利用カードが必要で、そのカードを家中探したが見つからない。仕方がない再発行(手数料100円)してもらおうかと出かけ、カウンターで手続きを取っていたら、身分を明かす照明に免許証の裏にカードが引っ付いていた。
手続きの書類を書き終わったら係の人が笑いながら指摘してくれた。お馬鹿だねえ。
若い時は、こんなことになろうとは思ってもみなかった。ああ、長生きしても、いいことは一つもない。馬鹿の上塗りばかりしてる。
【書】「叡」エイ・あきらか(No.1,609)
目と〓(叡から目のパーツを取り除いた形。叡の省略形。深い意)とで、深く見通す意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』七十一(No.1,049)
健三の細君は夫婦の意味を語る。
「単に夫といふ名前が付いてゐるからと云ふ丈の意味で、其人を尊敬しなくてはならないと強ひられても自分には出来ない。もし尊敬を受けたければ、受けられる丈の実績を有つた人間になつて自分の前に出て来るが好い。夫といふ肩書などは無くつても構はないから」。
言うねえ、その通り。
なんだけど、こっちも夫というだけで尊敬されたくはない。尊敬されたければ、尊敬されるだけのことをしなさいよというのも、まったくごもっとも。でも問題は、何が尊敬に値する行為なのか、ということなんだな。これは自分でも判らない。
やりたいことをやって、それが世のため人のためになるのがいちばんいいんだろうけど、そうならないのが世の常なわけで。そう考えると、なかなか世を渡るのもむずかしいですなあ。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.329)
子どもらが手に持っているでんでん太鼓の柄杓みたいなやつ、あれ、何だろう。
【タイムラプス】令和5年12月3日(日)6:16〜7:22の伊豆長岡の空。32秒。
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