今年もサケが不漁だと聞いて、心おだやかでない。
得た情報によると、本場北海道の漁獲高が前年比の3割、津軽を含む東北では軒並み8〜9割減でほぼ壊滅的状況。
私もたまには塩鮭を焼いて軽く朝食でもと思ってスーパーを覗いたりするが、高い高い手が出ない。とても軽くなんて言ってられなくなった。
このままだとサバ、サンマ、イワシと同じ高嶺の花となりかねない。
親父は生前、雇われ船頭としてサケを獲りに知床へ渡った。
番屋は羅臼の先の相泊(あいどまり)というところにあって、私も一度訪ねたことがある。地名が相泊というだけあって、そこより先に道はない。知床の先端まで行くにはそこから船に乗らなければいけない、そんな場所だった。
雪の降る頃、親父は荒塩で揉んだ鮭を一匹ぶら下げてきた。
その鮭を親父は「アキアジ」と言った。「サケ」とは言わなかった。
親父の持って帰る「アキアジ」は肉厚で、雪国の正月料理の定番だった。
明けても暮れてもそればかり卓袱台に並ぶから、子供心にも「またかよ。もうアキアキ」のアキアジだと思っていた。
でも今は、そんなことを言っていた昔が懐かしい。
年を取ると昔を懐かしく思うことが多くなるらしいが、どう言われてもいいから、あの「アキアジ」だけはもう一度味わってみたい。でももう、あの肉厚なサケには出会えないかもしれないな。
【きょうの一枚】野菊。
野菊と一口に言っても種類が多すぎて、名前が特定できない。
薪割りの手斧を取る足元に咲いている。踏んづけても踏んづけても咲く。逞しい花だ。
【書】「嬴」エイ・あまる(No.1,610)
女と、音を表す〓(ラ。嬴から女のパーツを取り除いた形。エイは変化した音)とから成る。もと古代部族の姓。借りて、みちる、「あまる」意。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』七十二(No.1,050)
細君の父が健三の留守に健三宅を訪ねてきた。その時、外套がなくて寒そうだったので細君は健三の古い外套を父に与えた。それが「二重廻し」というコート。
えふりこきの太宰治が好んで着たというが、袖がなく、びろんと広がって、いかにも寒そう。
あんなんで暖房着の役目をなしてたのかねえ、はなはだ疑問。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.329)
ミミズが這ったような仮名が読めない。なんて読むんだろうと、昔習った変体仮名の読み方を思い出しながらようやく読んだ。
「なんだまめのこかとおもつたらコリヤぬかだエ、ゲーゲーゲー」。
どうやら弥次さん、団子にまぶした黄色い糠をまめの粉と間違えて食ってしまったらしい。漫画だね、こりゃどうも。
仮名に濁点をふるようになったのは、江戸時代に寺子屋が出来て、そこで「読み書き算盤」を教えた頃と合致するか。昔は濁点すらもなかった。なくても濁音と理解して読んだんだから、昔の人は偉い。
開港したての日本に渡ってきた外国人が、異口同音に日本人の識字率の高さを誉めそやしたが、あれは維新後の新しい時代に一斉に行われた学童教育の賜物だろう。身分に関係なく、誰もが識字教育を受けられるようにしたことが大きい。津々浦々に役所が設けられ、この先字が読めなきゃやってけないように仕組んだから、貧富に関係なく皆々こぞって字を読むようになった。それで必然的に識字率が上がった。
【タイムラプス】令和5年12月4日(月)6:28〜9:18の伊豆長岡の空。21秒。
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