いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

十五夜の雲の尾長にたなびけり(あ)

【今日の一枚】十五夜の月とススキ。

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 一二三荘に行ったら、玄関三和土のテレビに大きな月が映し出されていた。テーブルで帳簿を広げていた女将さんが、「きれいねえ」と声をかける。オレンジ色に輝く中秋の名月は確かにきれいだったが、テレビに映し出された月は愛でる気にならない。「でも、月はやっぱり、ひとり手酌でぐびっと呑りながら見るのがいいねえ」と女将さんに返して男湯の暖簾をくぐる。

 一二三荘の帰り、米店に立ち寄る。そこで明日の弁当のおかずになりそうな惣菜を物色。

 私の弁当のおかずは鮭の焼いたのと卵焼きがあれば、それで足りる。昔から、そう。で、生鮭がないかと思って立ち寄ったのだが、置いてあったのは冷凍のカマの部分だった。カマも旨いけど、骨がかさ張って弁当のおかずには不向き。青い色が欲しいかなと思って、調理済みの茎ワカメのパックを手にした。

 レジに持っていくと、奥さんが窓の外を指差して「ここからお月さんが見えるのよ、きれいでしょ?」と言う。米店の向かいはかつてはビルが建っていたが、今は撤去されて更地になっている。「ビルがあったときは見えなかったけど、ビルがなくなってから見えるようになったのよ」とも言う。その言葉の端に、栄えていた当時の商店街の仲間が、また一つ店をたたんだことへの寂しさのようなものを感じた。

 どうしても鮭が欲しかったので、いつもの魚屋に寄ってみることにした。そうしたら、シャッターが降りていた。定休日が水曜なので今日はやっているはずと思って行ったのに既に閉まっていた。行く時間が遅かったのか。いや、閉店の午後7時にはだいぶ間があったと思ったが。

 しょうがない鮭をあきらめるかと一旦は思ったが、やはり鮭が欲しいということで、スーパーに戻ることにした。

 すると、スーパーの鮮魚コーナーに「秋鮭」のパックがあった。おっ、これは「アキアジ」のことだと思い、幸い、弁当のおかずにちょうどいいサイズに切ってあったので、そいつを買ってみることにした。

 雇われ船頭として知床で鮭漁をしていた父は、鮭のことを「アキアジ」と言っていた。父が土産に携えてくる「アキアジ」は肉がプリプリしていて、店で売られる鮭とは一味も二味も違う。そのイメージがあったから、鮭ではなく「アキアジ」の切り身を買ってきたのだったが、焼いてみたら、これががっかりするほどの代物で、全く買って損をしたとしか言いようがない。

 私が勝手に子どもの時に食った「アキアジ」をイメージしたのが間違いだった。パックを手にした時、あまり新鮮じゃないなとは思ったんだよな。案の定、魚焼き網に切り身をのせたら、へちょっとたるんで、まるで弾力がない脂が乗ってない。

 北海道・増毛(ましけ)の漁師さんが今年の鮭は豊漁だとテレビのインタビューに答えていて、それは決して嘘ではないのだろうけれど、こっちのスーパーに流れてくるまでにくたびれてしまったのかもしれない。

 ともかくひどい代物を買ってしまった。それだったら普通の鮭でよかったな。

 買い物をして家に帰ったのが午後7時。明るいうちに家の前の空き地から取って来ておいたススキを花瓶に挿して、デッキに持って上がる。それをデッキの手すりに置いて撮ったのが、今日の写真。

 これで月見酒とシャレようと思ったが、ちょっと外で呑るには冷え込みすぎて、そそくさ家の中に入った。そして、月見酒ならぬ、魚の焼け具合見の、冴えないコップ酒になったのでした。

 

【書】「吉慶」きっけい(No.469)

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 「めでたいこと。祝うべきこと」(『旺文社漢字典』第2版)

 

 

【タイムラプス】5:03〜7:05の伊豆長岡の空。30秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1311927702165708801?s=21