同じ人がずっと地区の役員をやっていると、汚職の温床になりかねないし何かと弊害があるのではないかと思って問題提起した。が、どうも受け入れてもらえそうにない。てえことは、もうちょっとやれということか。続けてやっていいものかどうか、その判断に迷っている。
これまで地域に世話になったからと、その恩返しのつもりでいろいろ手助けしているが、果たしてそんなんでいいんだろうかという疑念が拭いきれない。
個人的には、もっと新しい血を入れて地域の活性化を図りたいが、その新しい血に「よし、あとは俺に任せろ」という動きが見えない。いざとなれば自分の生活を第一に考えてしまう。
自分の生活を守りたいと考えるのはある意味やむを得ない。人間とは、そうしたものだ。
どう生きようが自分の勝手じゃないか。それを他人にとやかく言われる筋合いはない。
その通り。言ってることは至極ごもっとも。なのだが、それでみんなが自分が自分がと言い出したら収拾がつかなくなってしまう。それが地域社会ってえもんだ。だからよ。そこで頭を抱えるのよ。
自分の生活を守りたい。地域の活性化も図りたい。
それが両立できればいちばんいいんだけど、果たしてそんなことできるのかな。
【きょうの一枚】奥庭の風景。
立木が並んでいる。
左から順に、木通(アケビ)の蔓、その奥が風呂場。右にコンポストがあって、その付け根から八重桜が斜めに伸びて風呂場の屋根を脅かしている。さらにその奥が山茶花、そして椿(ピンク)と続く。その先は北隣家。
八重桜の右隣に夾竹桃があって、さらにその右に渋柿がある。ここへ小鳥がどこからともなくやってくるが、つつくのは崖上の実ばかりで崖下に覆いかぶさっているやつはつつかない。なぜか、取りにくいところだけつつき残している。う〜ん、不思議。
渋柿の手前に姫林檎を植えた。今は芝生が蔓延っているが、昔はそこにミニ菜園があった。
いちばん手前が新規のテーブル。そこに折り畳みの布チェアを小屋から持ち出してレトルトスパゲティを食している。
とまあ、こんな景色を眺めながら庭でランチを楽しんでいる。
【書】「練」レン・ねる(No.1,603)
糸と、音を表す柬(カン。レンは変化した音。煮て柔らかにする意→爛)とで、煮て柔らかくつやを出したねりぎぬ。ひいて「ねる」意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』六十五(No.1,043)
御常(健三の養母)が帰った後、身重の細君が健三に擦り寄る。そして、健三の手を握って自分の腹の上に載せる。
「彼女は此時既に自分の胎内に蠢き掛けてゐた生の脈拍を感じ始めたので、その微動を同情のある夫の指頭に伝へやうとしたのである」。
この感覚は、到底男には判らない。
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.323)
赤い越中褌でほおかむりしている弥次さん。道すがらの女の人に笑われてます。
こんなんだもの『東海道中膝栗毛』が教科書に載るわけがない。
それにしても、なに、あれ。堂に入ったふうな得意満面の顔。
【タイムラプス】令和5年11月27日(月)6:28〜9:39の伊豆長岡の空。23秒。
📸 Facebookでこの投稿を見よう 。