【きょうの一枚】持久走試走のグランド。
地元小学校のグランド。
集合時刻より1時間ほど早く着いた。職員玄関でばったり会った教頭先生に「どうしますか?」と訊かれ、「外で待たしてもらいます」とつい言ってしまった。応接室で熱いお茶を飲んでいた方がよかったかも。
手持ち無沙汰に周辺をぶらぶら散策する。そのときに撮った一枚。
係の児童だろうか、テキパキと道具をグランドに運んでいた。
手前の植え込み前に置いてあるのは私の制帽。いつもこれを被って交通指導をする。祭りの山車がすっ転んだ時もこの帽子を被っていた。
グランドの向こうに聳えるのは標高452mの葛城山(かつらぎやま)。山頂までロープウェイが通っている。標高はそんな高くはないけれど、この山頂から眺める景色が素晴らしい。遮るものがないから、富士山、駿河湾、狩野川が一望に見える。
山頂にはトイレがある。トイレがある山頂は珍しい。
持久走の本番は来月。きょうはその試走。それでも分かれ道に立てというから立って交通整理した。道幅が狭い割に車が我が物顔で通る。道は人のためではなく車のためにあることを実感。信号がないから地元の人の抜け道になっているのかもしれない。
そう、来月の本番の日にも立つんです。じっと立ってるだけだから寒いなんてもんじゃない。冬服を着込んで手には白手袋をはめているが、鼻水がジョボジョボ出る。当日は雨が降らないことをひたすら祈るばかり。
と、グランドのフェンスの向こうを電車が通った。ここを電車が通るばかりに、駅へ向かう人は踏切を二度渡らなければいけない。グランドのすぐ脇が線路になっていて、その線路とグランドの間に道がないからそうなる。だから、駅へ行きたい人はグランドを避けて遠回りしなければいけない。そういうローカル事情がある。
【書】「魯」ロ・おろか(No.1,604)
ロ(曰は変化した形)と、音を表す魚(ギョ。ロは変化した音)とで、話すことばがのろくてはっきりしない意。ひいて「おろか」の意を表す。借りて、国の名に用いる。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)
【ディジタル画】『道草』六十六(No.1,044)
健三の細君は現在身重。細君の世話になっている産婆は、「生家(さと)と縁故のある産婆が、遠い所から俥に乗つて時々遣つて来た」というほどの人らしい。「俥に乗つて時々遣て来」る産婆って、どんな産婆?
昔は、生まれる時は産婆の世話になり、死ねば坊様の世話になる。今は、生まれる時も死ぬ時も病院の世話になる。途中、怪我をしても風邪をひいたぐらいでも病院に駆けつける。要するに、生まれてから死ぬまで病院の世話になりっぱなし。かくして学校の先生の言うことは聞かないけど、病院の先生の言うことは聞くようになる。自分の生も死も、全て病院まかせ。そんなんでいいの?
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.324)
天秤棒で肥桶を担ぐ人の後ろから「臭い臭い」と鼻をつまみながらついていく弥次喜多のお二人。
でも、それを商売にしている人もいた。
人が排泄する糞尿を片付けてくれる人がいるから清潔な暮らしができる。
昔は、自分で出したものを自分で処理するのが当たり前だった。だから家の仕様はそのように作られていた。
今はすべて下水に流す。流した汚水がどこへいくのかも知らずに、身のまわりがきれいになったと喜ぶ。それを当たり前だと思っている。
人の見えないところで汚れた仕事をしている人がいる。だから、きれいな生活ができる。そのことを今一度考えてみたい。
【タイムラプス】令和5年11月28日(火)6:05〜7:56の伊豆長岡の空。27秒。
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