いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

レトルトに津軽訛の師走かな(あ)

 久々に『陸奥新報』コラム「冬夏言」を面白く読んだ。

 「年を重ねるにつれてなまりが強くなり、”こてこて”の津軽弁を使うことが多くなるのはなぜだろう。10代の頃は周りのお年寄りの津軽弁が強過ぎて『自分はこれほどにはならないだろう』と敬遠していたのに」と始まる。(11/21)。

 私は東津軽郡というところで生まれた。東津軽郡は、青森市を挟んで東と西の両側にある。つまり、後から出来た青森市に東津軽郡が分断された格好になっている。

 私は東側の津軽郡で津軽弁を覚えた。いうまでもなく日常語はすべて津軽弁だった。

 そんな私でもお年寄りの使う津軽弁が判らなかったりすることがあった。

 「おじょまねでわっちどけぱねばまいねど」。

 これは、私が卒業アルバムの隅っこによく書いた「贈る言葉」である。

 ”こてこて”の津軽弁だが、意味は、「気後れしないで気合を入れて頑張らなければいけないよ」くらいか。

 この「おじょむ」が判らなかった。母がよく使っていた津軽弁らしいが、どんなときに使うか聞き漏らした。母は弘前市の隣町の生まれで、純粋な(?)津軽弁を話す人だった。

 確か、高校入試に出かける玄関で投げかけられたのだと思う。そのときは知ったふりをして「へば(それでは)」と言ってバス停に向かったが、入試から帰ってからもどんなときに使うか確かめることはしなかった。

 でも、それ以来、「おじょむ」という言葉は、私にとって今も”こてこて”の津軽弁であり続けている。

 

【きょうの一枚】朝やること。

f:id:jijiro:20231130075516j:image

 朝食はパソコン横で摂る。

 レトルトのクリームシチューをチンし、とろけるチーズを載せた八枚切食パンを二枚添える。そして淹れたてのコーヒー。

 これで某新聞コラムをキーボードで打ってパソコンに保存する。

 新聞コラムは文章修行にもってこいだ。

 いつも「ふんふんなるほど」と思い巡らせながら打っている。

 

【書】「論」ロン・あげつらう(No.1,605)

f:id:jijiro:20231130075624p:image

 言と侖(リン・ロン。順序だてる意)とで、すじみちを立てて述べる意を表す。(『旺文社漢字典第二版』ディジタル版)

 

【ディジタル画】『道草』六十七(No.1,045)

f:id:jijiro:20231130075646j:image

 健三の腹違いの姉は比田に嫁いだ。

 が、「嫁に来てから今日迄、ついぞ夫の着物縫つた例がなかつた」というつわもの。

 そこで、小学校高学年の頃、裁縫でボタン付をしたのを思い出した。

 それは今でも生活に息づいている。

 当時は、裁縫は女がするものと思い込んでいたが、振り返ると、あの時の苦労が今報われているような気がする。やってよかったと感謝している。 

 

【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.325)

f:id:jijiro:20231130075747j:image

 『浮世道中膝栗毛後編』のト書に「ふところからどうまきを出し、ふるつて見ればかみにつゝんだやつががつたりとおちるあげてみればみないしころ」と見える(中村幸彦校注)。弥次さん曰く、「金が石になつてしまつた」。そりゃ大変、そいつは早くに宿を出立した奴の仕業だ。

 

【タイムラプス】令和5年11月29日(水)5:55〜9:09の伊豆長岡の空。24秒。

📸 Facebookでこの投稿を見よう 。

https://www.facebook.com/100001436582002/posts/pfbid02UzEV6rheyUYLHz1cd7RTcAi7fZ3zg2FF5Qukp7HeseJWdyx4tvNrB41nqk1p6DY7l/?d=n&mibextid=WC7FNe