一日の過ぎるのがどんどん早くなって、代わってやり残したことがどんどん増えて困る。
時間にせっつかれているようで気忙しくて仕方がない。もっとゆったりできないものか。
いつからそう思うようになったか。年齢が70を過ぎてからじゃないかな。
文机をパソコンラック代わりにして、その前に座椅子を置いている。そうしてそこで毎日ブログの下書きをしている。
と、座椅子から立ち上がるときに、どうした加減か足元がふらつくようになった。
どうした加減か、だなんて言っちゃってるけど、原因は判っている。
年だ。70という年齢がそうさせている。
寄る年並みには勝てないということだな。間もなく「おくたばりあそばす」年齢に達したということだ。
周りをぐるり見渡すと、80を過ぎた人生の先輩がガンガン体を動かしているから気づかないが、70だってとっくにリタイアしていい年だ。
おいくつ? と訊かれ、70ですと答えると、まだまだお若いと言われる。70で若いと言われると立つ瀬がない。
80まで頑張れということか。が、70は70だ。若い頃の踏ん張りが効かなくなってきたことを実感する。
そろそろ潮時かな。
【きょうの一枚】庭のツワブキ(石蕗)。
石蕗の花は冬に咲くキク科の常緑多年草。「石蕗」だけでは花のことにならないので、季語として使うには「石蕗の花」と「花」をつけないといけない。
【書】「墨」ボク・すみ(No.1,592)
土と黑(コク。ボクは変化した音。すすの意)とで、すすを土塊状に固めた「すみ」の意を表す。(『旺文社漢字典第2版』)
「墨」には随分世話になったなあ。
今は、墨を使わないでiPadとpencilで古代文字を書いてる。
そう言ったら本物志向の人に怒られそうだけど、偽物だって構うもんか。貧乏人が廉価になびくのは世の常だ。仕方なかろうもん。
【ディジタル画】『道草』五十四(No.1,032)
身重の細君が健三に聞えよがしに呟く。
「どうせ御産で死んでしまふんだから構やしない」。健三は死んぢまへと云ひたくなつた。
男だからかな、このときの健三の気持ちがよく判る。てか、この夫婦、この先どうなるんだろ。
「或晩彼(健三)は不図眼を覚まして、大きな眼を開いて天井を見つめてゐる細君を見た。彼女の手には彼が西洋から持つて帰つた髪剃があつた」。
怖!
【昭和の風景】『東海道中膝栗毛』(No.312)
弥次さん。底抜けに明るい。
【タイムラプス】令和5年11月16日(木)7:27〜9:44の伊豆長岡の空。33秒。
iPhone10Rから15に乗り移った途端に貼り付けたfacebookのアドレスが短くなった。貼り付けただけで動作を試してないけど、ちゃんと動いてるかなあ。