シリーズで「昭和の風景」を描いている。
私が過ごした昭和の懐かしい風景を絵に残しておきたいと思って始めたが、それがいつの間にか津軽凧の武者絵になり、歌川広重の浮世絵になっていた。
武者絵や浮世絵の、一体どこが「昭和の風景」なんだ?
昭和の懐かしい風景を追いかけていたら、知らぬ間に津軽の武者絵になっていた。
で、武者絵を描いているうちに、いつの間にか鬼の表情になった。
さらに、鬼が『かちかち山』になり、何かの加減で浮世絵に化けた。
それだけのこと。
そこに意味なんてないのさ。
好きだから描いている。ただそれだけのこと。
「昭和の風景」を描いていたはずなのに、知らないうちに浮世絵にたどり着いていた。けど、どちらも絵を描くことに変わりはない。
それでいいじゃん。
私にとっては「昭和の風景」も浮世絵も、同じ懐かしい風景なんだし、時代とともに手に入れたPadとPencilで描くということに変わりはないんだから。
【きょうの一枚】満開の金木犀。
タイムラプス撮影のためにカメラをセッティングしようとしていたら、甘い香りが鼻をついた。金木犀である。
下から見上げるとそれほどでもないが、上から見下ろすと、枝にびっしりオレンジの花が咲き誇っている。冷たい雨に振り落とされまいと懸命に枝にしがみついているかのようだ。
その雨も昼からやんだ。
雨がやんだ途端に陽の光が差し込む。
なんだか気分もウキウキして、ビーサンをぺたんこぺたんこさせながら坂下のポストまで郵便を出しに行った。
【書】「歯(齒)」シ(No.1,560)
「もと、口の中に並んでいる「は」の形にかたどる。のち、これに音を示す止(シ。根づいて動かない意)を加えて、口の中で根をおろしてぐらつかない「は」の意を表す。人の成長につれて歯が生え、生えかわり、抜け落ちることから、「よわい」の意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『道草』二十三(No.1,000)
島田の後妻に御藤さんという人がいて、その御藤さんの連れ子が御縫さん。
細君は健三に言う。「何うして其御縫さんて人を御貰いにならなかつたの」。
そう言われても困る。健三もどう返答していいか判らない。
【昭和の風景】東海道五十三次「庄野」白黒(No.280)
雨降りしきる峠道。
晴れれば何でもない山道も、雨となれば途端に歩きにくくなる。
旅は晴れの日ばかりじゃない。こんな雨の日だってある。
畑仕事の途中で雨に降られたのだろうか。鍬を背負って家路を急ぐ農民の姿があるかと思えば、宿から借りたと思しき番傘をさす足早の旅人もある。
その一方、雨の中を急ぐ駕籠かきや筵を雨合羽代わりに羽織って先を急ぐ人もいたりして、そういう人たちを描くにつけ、いろんな人がいろんな人生を歩んでいるんだなあと思う。
まさに、人生山あり谷ありだな。いつ何時、どんなことが起こるか判らない。
【タイムラプス】令和5年10月15日(日)7:56〜10:35の韮山方面の雨空。39秒。