津軽には思い出がたくさんある。
そりゃそうだ。自分の生まれ育った場所がそこなのだから無理もない。小学校に入って高校を卒業するまでずっとそこにいた。その間に思い出は形作られた。
伝書鳩を売っている場所も、窓のない薄汚い駅前の市場だった。まさか、鳩が人間に害を及ぼす鳥だとは知らず病人の前で飼っていた。平和を象徴する鳥を人が毛嫌いするほんとの理由をそのとき知った。白い鳩が平和を運んでくるなんて嘘っぱちだと思った。
路線バスに揺られて街へ行くことを、土地の人は「街へ出る」と言った。
路線バスには市営と国営があって、県庁へ行くには市営、アーケードのある繁華街に行くには国営と乗り分けていた。そのどちらの座席にも灰皿が用意されていて、さながら走る喫煙車のようだった。
それが、ある日を境にすべての灰皿が撤去された。紫煙たちこめる空間は主婦の賑やかな社交の場に取って代わられた。それを見て子ども心にも疑問が起こった。
それは、喫煙車がなくなるのはいいとして、車掌さんも同時にいなくなるのは困るというものだった。運転手が車掌の仕事もするなんてあり得ない。そんなことできるんかいなと疑心暗鬼だった。
いわゆる、ワンマンカーと呼ばれるやつ。これの普及によって、車掌の仕事はなくなった。代わりに運転手の負担は増えた。
ところが、それに右倣えといわんばかりに車掌が消え、駅員の姿が消えた。駅は閑古鳥が鳴いた。人間はどこで働けばいいんだろう。
働く場所がなくなった。その隙間に外国人労働者が安い賃金で群がった。日本人はますます働く場所をなくしていった。残すはあと外食産業しかない。そこでどれだけの技量が見みせられるか。日本人に残された最後の道はそこしかないように思う。しかもそれは今のラーメン店のように浮き沈みが激しい。
【書】No. 2,176『徒然草』第六十三段本文(刊・正保2年)模写&訳(吾妻利秋)

後七日の儀式の実行委員長である導師が、近衛兵を配備して厳重に警備するのは、いつだったか、儀式の最中、強盗に襲撃されたからである。「一年の計は元旦にあり」と言うぐらい、大切な儀式だが、軍隊に囲まれて開催されれば、軍事国家のようになる。
【昭和の風景】津軽No.876

「こたごと ださも しゃべな。」(こういうことは 内緒だよ。)の意。
【タイムラプス】令和7年6月26日(木)8:35〜9:59の伊豆長岡の空。圧縮20秒。
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