【きょうの一枚】少しいじった庭。
昼に来客の予定があったので、それまで庭いじりをすることにした。
久々の庭いじりです。夏草がこれでもかとばかりに敷地いっぱいに繁茂してます。
以前はミニ菜園で野菜作りを楽しんだりしていたけど、孫が大きくなったこともあって野菜作りから手を引いていた。そのせいで、ほとんど畝を立てることをしなくなった。
放ったらかしにしておけば、それなりの結果になることは必定。そして、たちまちそれなりの結果になった。
いや、夏祭りが終わってひと段落したらやろうと思ってたんだよね。そしたらバイクですっ転んじゃった。
人生、どうすっ転ぶか判らんねえ。だから、やれることをやれる時にやっておかなきゃ。
これじゃあいかんと心機一転、まずは落ち葉拾いから始める。が、これが結構な手間で、一馬力では到底一日で終わらない。軍手ぐしょ濡れ落ち葉は腐葉土化してる。日没暗がり終了だあそんなもの。てなわけで、続きはまた明日。
さて、あとどれくらい庭いじりができるだろうか。
指を折って数えてみた。ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう、なな、やあ、……。あれっ、8本で足りてる。指10本も要らなそう。そっか、おいらの余命は指10本もないのか。なんだか、哀しくなってきちゃった。
【書】「輔」ホ(No.1,539)
「車と、音をあらわす甫(ホ。そえる意→補)とで、車の両側のそえぎの意。転じて「たすける」意を表す。(『旺文社漢字典第2版』)
【ディジタル画】『道草』一(No.979)
『彼岸過迄』の挿絵が終わって、次は『道草』。
『道草』は、「朝日新聞」に1915年6月3日〜9月14日に掲載され、『吾輩は猫である』執筆時の生活をもとにした漱石自身の自伝的作品とされる。
『吾輩は猫である』は、ご存じ漱石のデビュー作であるが、執筆当時の千駄木の家にかつて森鷗外が住んでいたことがあるとは知らなかった。びっくりです。
一方、鷗外は自分が立ち退いた後に、まさか漱石が住みつくとは思いもよらなかったことでしょう。そうと知った時鷗外は、どんなリアクションをしたのでしょう。
その家屋は、現在、犬山市の明治村にあります。
田の字型平面を基本とし、三畳の女中部屋の前に、ごく短いものの中廊下の起源が見られる。南面には書斎が設けられ、作家には割と使い勝手の良い間取りだったようです。
【昭和の風景】東海道五十三次「吉田」色付き。(No.259)
吉田宿は豊川が流れ、そこに将軍の直轄橋である「天下橋」が架かっていた。長さ120間(約239m)の大橋で、東海道でも有数の橋だった。
【タイムラプス】令和5年9月24日(日)6:40〜9:46の伊豆長岡の空。23秒。