いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

空蟬の背を割つてなほ見栄を切る(あ)

 おととい(9/18)、公民館に飾ってほしいという写真を2葉いただいた。

 その写真を保管していたのは、写真を撮った人と親しくお付き合いしていた方で、私もその人のつてで、写真を撮った方のお宅へお邪魔して囲碁を打つまでになっていた。その方は囲碁がお強くて、自称四段とおっしゃっていた。

 程なくしてその方は息子さんの住んでいる神戸に引っ越して行った。そして、引っ越してまもなくして亡くなったとの訃報をいただいた。私は、その方が「知っている人がたくさんいるここで死にたいよ。知らない人がいるところで死にたくないよ」と愚痴っていたのを知っている。神戸なんて知らないよ知らないところへ行きたくないよともおっしゃっていた。

 それで、きのう(9/19)の敬老会のバス旅行の帰り、公民館に降り立った敬老の方が漏らした。

「あたし、どうせなら、知ってる人がたくさんいるここで死にたいわ」。よほどバス旅行が楽しかったのでしょう。会話が弾んだんでしょう。

 私はツアー帰りの人たちを迎えながら、写真を公民館に飾ってほしいという方から写真を預かり、さてどうしたもんかと思案していた。

 やはり、皆さんも神戸に引っ越された方と思うところは同じで、知っている人に囲まれながら最期を迎えたいと思っているんだなあ。

 ツアーのお土産をいただきながら、そんなことを考えていた。

 

【きょうの一枚】空蝉。

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 そろそろ金木犀の咲き匂う頃かなと思い、庭の金木犀を覗いてみた。そうしたら、金木犀の葉っぱに空蝉がしがみついていた。

 手元の歳時記『合本俳句歳時記第4版』(角川書店・ディジタル版)には、「地下に数年間生息していた蟬の幼虫は、やがて成長して蛹となり、夏、地上に這い出してきて背を割り皮を脱ぎ、夜の間に成虫となる。この蟬の抜け殻を空蟬という」とある。

 その昔、弘前の母の実家に一晩泊まった夜、蚊帳に吊るした蟬の幼虫が一斉に背を割って白く反り返った時のことを思い出した。中には羽を乾かしきれずに落下し、いびつに歪んだままよちよち歩きをしていた蟬もいて、子供心にもなんか罪なことをしたと項垂れていたのを覚えている。

 金木犀の、あの蒸せるようなオレンジの小花はまだ咲いてなかった。一週間ほど早かったかもしれない。

 

【書】「賓」ヒン(No.1,535)

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「貝と、〓(ヒン。賓から貝を取り除いた形。客の意)とで、客をもてなす贈り物の財貨の意。ひいて、客人の意に用いる。」(『旺文社漢字典第2版』) 

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』松本の話 十(No.975)

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 市蔵(須永)が約束を守って律儀に音信を送ってよこす。

 大抵は旅先の絵葉書に二三行の文句を書き込んだ簡略なものだったが、それでももらう方はうれしかろう。松本とて例外ではない。

 「僕(松本)は其葉書が着く度に、まづ安心したといふ顔付をして、妻からよく笑はれた」。

 今は切手代もバカにならないから、旅先から気軽に出せなくなった。

 絵葉書だって売れない。どんなに綺麗な絵葉書でも売れない。カメラ付きスマホがあれば自分でもそれくらいの写真が撮れると錯覚してしまう。だけどプロじゃない。プロじゃないんだから、変な気を起こさないほうがいい。あんたの腕が向上したんじゃなくて、カメラの性能が良くなっただけの話。

 市蔵は旅先で二人のお婆さんに出会う。その二人のお婆さんの頭がそろってくりくり坊主だった。

 くりくり坊主のお婆さんでパッと思いついたのが瀬戸内寂聴さん。

 寂聴さんといえば天真爛漫の笑顔。その笑顔に癒されたくて、描いてみました。

 

【昭和の風景】東海道五十三次「白須賀」色付け。(No.255)

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 静岡県南西端に位置する。現在は湖西市。

 京都から江戸へ向かって歩いてくると、ここで初めて太平洋が見られるという。

 昔の人たちは、ここから見る太平洋を眺めながら「江戸の街まであと半分」と思ったそうです。

 

【タイムラプス】令和5年9月20日(水)6:26〜9:28の伊豆長岡の空。22秒。

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