勢いに任せて、今度は諸田玲子著『天下祭』を模写している。
模写して判るのは、かなを漢字変換するときの違い。例えば、「おもいだす」と打つと、エディタが勝手に「思い出す」と変換してしまう。「ふしぎ」もそう。「不思議」と勝手に漢字変換してしまう。
思うに世のエディタの基本が、例えば会社の文書作成用にできているからなんだろうな。漢字で書くのが当たり前という語句があるとして、手間を省くためにそれをエディタが勝手に判断して漢字変換してしまうのらしい。
余計なお世話だ。パソコンのエディタを利用して物書きをする文筆家にとっては、それは余計なお世話以外の何物でもない。
ひらがなのもつ見た目の柔らかさを示すために、あえてひらがな表記を選択する場合もあろう。そういうときには、勝手に機械の判断でゴツゴツした漢字に変換されるても困る。使うことばに敏感な人ほどそういう感覚を持つのではないだろうか。
辞書登録をして、漢字で使いたいというときだけそれが漢字変換されるというような機能が欲しい。
自動的に漢字変換しないエディタがどこかにないかしらん。
【きょうの一枚】しゃぎり練習をしている後ろではしゃぐ子供。
まだ小さすぎて、しゃぎりの練習に参加できない。お姉ちゃんかお兄ちゃんの練習が終わるのを、こうしてはしゃぎながら待っている。お母さんが子供しゃぎりの引率で来ているのにくっついてきたのだろう。
とまれ、近い将来、この子たちもしゃぎり練習の仲間入りをするのかな。このようにして、地域の伝統芸能が子供から子供の手へ受け継がれていくんだね。
【書】「頌功」ショウコウ(No.1,460)
「功績をほめたたえる。」(『旺文社漢字典第2版』)
「頌」は、頁(頭)と、音を表す公(コウ。ショウは変化した音。すがたの意。容)とで、舞容を整えて祖先を祭る意を表す。転じて「ほめる」意に用いる。
「功」は、力と工(コウ。わざの意)とで、力をつくした仕事のできばえ、ひいて「いさお」の意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 二十(No.900)
敬太郎のところに田口(須永の叔父さん)から電話がかかってきた。今すぐ来ることができるかという。
就職の斡旋の話らしい。
「……一体何ういふ方を御希望なんですか」と田口に訊かれ、敬太郎は「凡ての方面に希望を有つてゐます」と答えた。田口は笑ひ出した。
なんだ、従妹との結婚の話ではなかったんだ。
【昭和の風景】180
古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第13弾。
刈った萱を背負って狸が山道を降りると、後ろでカチカチという音がする。兎が火打ち石で萱に火をつけようとしていて、カチカチはその火打ち石を打つ音だった。
兎はカチカチと言う音は「山の風の音」だとしらばっくれる。
カチカチが山の風の音のはずがない。兎が火打ち石で萱に火をつけようとしていることは自明だが狸は知らないふりをしている。知ってて殺されようとしているのだ。狸はお婆さんを騙して殺した罪をこういう形で償おうとしていたのかもしれない。
【タイムラプス】6/17(土)8:56〜11:16の伊豆長岡の空。35秒。