宮部みゆき著『氏子冥利』の模写を終え、引き続き西條奈加著『祭りぎらい』を模写している。テーマは江戸のお祭りで共通するが、語り口がそれぞれ独特で、読み比べると面白い。
こうすることが文章修業につながるかどうか判らないけど、やってて面白いからまあいいか。
パソコンのキーボードを叩くのが苦じゃないんだよね。苦じゃないからと言って別に楽しいわけでもないけど。
思考回路がキーボードを叩くスピードにマッチしているからストレスを感じない。淹れたてのコーヒーをすすりながら、テクストを膝の上に乗せてぱこぱこキーボードを叩いてる。
あれもう昼か。ランチは冷凍庫のレトルトパスタでいいや。これをレンジでチンして外へ持って出る。庭木の枝が風にゆさゆさ揺れるのを眺めながらパスタを口に運ぶ。旨い。空気も旨い。
と、目の前を黒揚羽が横切った。黒揚羽は一旦飛び出したら止まれない。ずっと飛び続ける。羽を休めることを知らない。どこかにつかまって羽休めしたいだろうにと同情する。
その点、人間はいいなあ。眠くなったら2階へ上がってマットレスにごろんと横たわればいいんだもの。
あれをやりたいと思えばやればいい。これがやりたいと思えばやればいい。
人間だったら社会に迷惑をかけない程度にやりたいことがやれる。そういう環境を与えてくれた神様に感謝したい。私が今こうしてあるのも神様のおかげだ。やれるうちにやれることをやっておこう。
【きょうの一枚】桜古木が撤去された跡。
強い雨風に根元から裂けて倒れた桜の古木を、地元の建設会社が撤去してくれた。写真はその跡。おかげさまでスッキリしました。ありがとうございました。
ところで、撤去工事費用はどこが持つのかな。市かな、区かな。
【書】「経世」ケイセイ(No.1,453)
「世の中を治める。」(『旺文社漢字典第2版』)
「経」は、機(はた)の縦糸を張ったさまの字に糸を加えて、「たていと」の意。ひいて、すじみち、転じて「つね」の意。
「世」は、もと十を三つ合わせて、三十の意を表し、卅(三十)に同じ。その端を横に引きのばして、三十年、つまり人の一世代の意。転じて、世の中の意に用いる。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 十三(No.893)
須永のお母さんは、田口叔父さんのことを剽軽者だという。それがどうも敬太郎の腑に落ちない。
そこで須永のお母さんは、田口がいかに剽軽なところがある男かをエピソードを交えて話す。
そこに、ある写真屋で美人芸者の写真を買い、その写真で友人に悪戯を仕掛けた話が出てくる。
可愛い悪戯だが、なるほど、そういう悪戯を仕掛けるのを剽軽者というのか。現代でいう「ドッキリカメラ」に近いな。
悪戯を企んだ当人は、それが悪戯だと知っているが、仕掛けられた人は知らない。知っている人だけが悪戯だと知っていて、知らないで真剣に対応している人を側から笑う。
それって悪趣味なんとちゃう? 真剣に対応してくれてる人を茶化しちゃいけないよなあ。
【昭和の風景】173
古い昔話の「カチカチ山」。色塗り第6弾。
お爺さんはお婆さんに化けた狸から、殺された婆さんを煮た鍋汁を振る舞われる。お爺さんは骨が硬いと言いながらおかわりをねだる。
これが本来の昔話に潜む残酷さ。
【タイムラプス】6/10(土)7:31〜10:10の伊豆長岡の空。39秒。