この地区の住宅地は、狩野川が流れるすぐ近くの高台に開けている。
高台だから川土手が決壊しても洪水に巻き込まれる心配はない。が、そのかわり土砂崩れが心配。
もともとここは、別荘地として開発された土地だから、家の多くは斜面に建てられている。
斜面だから眺めはいいが、反面、家を建てようとすると土留に費用が食われる。階段が必要になるかもしれない。
眺めがいいのは一つの利点だが、もう一つ利点があるとすれば、それは土地が安いことだ。駅まで歩ける範囲でありながら地価が安いから、若いカップルが多く住み着く。若い夫婦が多いと子供も多い。大人の目線に立つと病院もスーパーも徒歩圏内にあり子育てしやすく経済的なのだが、子供の目線だとまた違うらしい。
地元の中学校は山一つ向こうの高台にあって、そこへ通うまでに坂道を毎日上り下りしないといけない。高台が二つあるということは登校にしろ下校にしろ、どのみち一度は坂をえっちら上らなければいけないということだ。子どもにとってはそれがきつい。「お父さん、どうしてこんなところに家を建てたの?」と子供が恨み言を親にぶつけることもしばしばだと聞く。
親は車を運転すれば上り坂だろうが平坦だろうが関係ない。ところが子供は違う。徒歩で坂を上らなければいけない。子供の不平不満はつとにそこにある。子供にとっては駅が近かろうが病院が近かろうが関係ない。そこに坂があるかないかが問題なのだ。
南隣の、そのまた南隣が空き地になっている。その空き地が売りに出ているという。ネットで確認したら、あった。敷地が約100坪あって坪単価が1万円。安い。今は草茫々のジャングル状態だけど、刈り込めば見違えるような土地になるだろう。高台だけど。
【きょうの一枚】濁流の小川。
地元小学校へ渡る橋の上から川の上流を撮った。
台風が去って丸一日経つのに、近所を流れる川は濁流のままだ。そのことを写真に残しておきたかった。濁流なのは、上流で山の土砂が今もまだ流れ落ちていて、このように川の水を濁らせているからかもしれない。
【書】「禽荒」キンコウ(No.1,447)
「狩猟にふけること。」(『旺文社漢字典第2版』)
「禽」は、あみと今(キン。おおうさま)とで、鳥をとらえる意。転じて「とり」「とりこ」の意を表す。
「荒」は、艹(草)と、音を表す〓(コウ。おおい隠す意→莽)とで、雑草が地をおおう、ひいて「あれる」意を表す。
【ディジタル画】『彼岸過迄』停留所 七(No.887)
敬太郎は、洋杖をくれた森本に手紙を書き、下宿を出ようとしたところへ須永から電話が入った。
それで、この前須永を訪ねた時に見た後ろ姿の女性は須永の従妹らしいことが分かった。そして、その女性に会うために敬太郎は自分の部屋に取って返し、こしらえたばかりのセルの袴に履き替えた。
男が女に弱いのは、いつの世も変わらない。
【昭和の風景】167
津軽の化粧地蔵。
このお地蔵さんが祀られている寺は太宰治の生家・斜陽館の近くにあり、『思ひ出』にも登場する。女中タケが幼年の太宰に見せた地獄絵がある寺で知られる。
ピンクの衣装をまとい、手ぬぐいで頰被りをし、口に紅を施している。幼くして命を落とした子どもなのだろうか。津軽によくあるお地蔵さんだ。
私はこのお地蔵さんに、幼くして亡くなった妹の姿を重ね合わせてみる。
【タイムラプス】6/4(日)5:44〜8:11の伊豆長岡の空。36秒。