いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

毬栗や坂の下みな焼け野原(あ)

 文芸誌に載る作品もさることながら、そこに挿し込まれる絵にも注目している。いわゆる「挿絵」というやつですね。これをディジタルで表現するとしたら、どう表現するか。

 今、その試行錯誤中です。

 私がディジタル画を描くときは、次のような道具を使います。

①iPad Pro

②Apple Pencil

③Consepts6.0(アプリケーションソフト)

④写真(写メ)

⑤電源

以上。

 えっ? それだけ? 

 それだけです。あと、絵心かな? これがいちばん大事だったりして。 

 

【きょうの一枚】イガグリ(毬栗)。

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 南隣家の隣の空き地がジャングル状態になっている。

 管理事務所に現状を伝えて連絡を待っているが、持ち主からまだ連絡がない。

 物件は売りに出ているというが、その不動産屋さんからも連絡がない。隣の居住者が困っているので、不動産屋さんに一報入れて伐ってしまおうかとも思っている。そうしないといつまでも埒が明かない。

 そうこうしているうちに、上から毬栗が落っこちてきた。毬栗は棘があるから始末が悪い。体に当たると痛い。痛い思いをするのはその道を使っている住民だ。住民が困っているんから、困らないようにしてやるのが地区のまとめ役と心得る。

 そこに住んでない土地所有者を優遇するのはいかがなもんでしょうか。

 

【書】「禄(祿)命」ロクメイ(No.1,495)

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「人間の運命。人の盛衰・貧富の運命。」(『旺文社漢字典第2版』)

「禄(祿)」は、示と彔(ロク。こぼれる意)とで、神が下す「さいわい」の意を表す。

「命」は、令(レイ。メイは変化した音。いいつける意)に口を増し加えて、この世を支配する天の命令の意を表す。ひいて、この世の定め、人の「いのち」の意に用いる。

 

【ディジタル画】『彼岸過迄』雨の降る日 五(No.935)

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 二歳の宵子が突然死んだ。

 いちばんショックを受けたのは、その直前まで世話をしてやっていた千代子(田口の長女)だったかもしれない。  

 外の雨は降りやまない。「彼女(千代子)は時々宵子の顔に当てた晒を取つては啜泣をしてゐるうちに夜が明けた」。

 その後千代子は、「半紙と筆と硯とを持つて廻つて、南無阿弥陀仏といふ六字を誰にも一枚ずゝ書かし」ている。

 私も「南無阿弥陀仏」の六文字を、経帷子の背に書かしてもらいました。

 

【昭和の風景】215

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「大磯」白黒。

 梅雨時にしとしとと降る雨を「虎ケ雨」という。

 歌舞伎にも登場する曽我十郎が、仇討ちの果てに命を落とす。それが陰暦五月二十八日。曽我十郎の愛人だった大磯の遊女・虎御前が流した涙が雨となったということから、その雨のことを「虎ケ雨」というようになった。

 広重の浮世絵には、その「虎ケ雨」が針のように降る大磯の風情が描かれる。

 

【タイムラプス】7/22(土)5:59〜11:29の伊豆長岡の空。20秒。

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